wordpress多言語サイトのhttps化

Xserverではhttps化が無料でできるということであったので、せっかくなのでトライしてみることにした。

Xserverでのサイトのhttps化

サイトのhttps化自体はとても簡単で、Xserverのサーバーパネルにアクセスし、ssl設定タブーssl設定の追加から確定するだけで良い。 30分ほど待つとhttpsのサイトにアクセスできるようになる。
問題はWordPressで多言語化などの目的で、先にマルチサイト化をしている場合だ。 設定をhttpsに変更しようとしても、メインサイトのアドレス変更はワードプレスの設定画面からはできない。 ウェブで検索したところ、直接データベースを編集すれば変更できるようである。 ちょっと時間ができたので、やってみることにした。

wordpress多言語サイトのhttps化

サイトのhttps化自体は少し前に前述の通りに済ませておいた。 サイトのバックアップをとってから、まずはマルチサイトのサブディレクトリサイトのhttps化をする。 これはとても簡単で、参加サイトーサイトネットワーク管理ーサイト、から各サイトの編集をクリックする。 設定タブに移動してsiteurlとhomeのアドレスをhttpsに変えてあげれば良い。
続いてメインサイトのhttps化に取り掛かる。 メインサイトのアドレスを変更するには、直接mySQLデータベースを編集する必要がある。 私のエックスサーバー環境下では、サーバーパネルにログインするとデータベースのところにphpmyadminというものがある。 これをクリックするとユーザー名とパスワードを求められるので入力する。 mySQLのパスワードなんぞ忘れた!という方はファイルマネージャーからワードプレスインストール先のwp-config.phpにアクセスすれば良い。
さてphpmyadminの画面を開いたら、左側のフォルダ一覧をプラスを押して開くとwp-optionsというファイルが見つかる。 このファイルをクリックすると右側に中身が表示される。 そうすると上の方にsiteurlとhomeというオプションが見つかるはずだ。 これをhttpsに変えてあげれば良い。
あとはワードプレスにログインし直し、参加サイトーサイトネットワーク管理ーサイトに行くと、設定タブのsiteurlとhomeのhttpがhttpsに変わっているのが確認できるはずだ。
ただ私の環境下では一つ問題があって、同ページの情報タブのサイトアドレスの表示がhttpのままなのだ。 色々試して見たのだがここが変わらない。 しかしhttpsで問題なくサイトが動いているようであるので、原因が判明するまでは置いておくことにした。

サイトのhttps化後にやっておくこと

さてwordpressのhttps化をしたら、内部リンクや画像などのアドレスを全てhttpsに変えておく。 私たちのブログは大したリンク数・画像数ではないので、手動で全部変換した。 続いてhttpからhttpsへの301リダイレクトの設定。 マルチサイトだとここがうまくいかないというウェブ情報が散見されたが、単純に下記の二行をhtaccessのRewriteEngine onの下に書き足したら今の所うまく動いている。

RewriteCond %{HTTPS} off

RewriteRule ^(.*)$ https://%{HTTP_HOST}%{REQUEST_URI} [R=301,L]

というわけで、多言語マルチサイトのhttps化でした。 微修正などがあれば追記予定。

D

 

 

海外旅行記・グランドサークル 〜西部の荒野モニュメントバレー

多くの人が西部劇という言葉でイメージする景観というのは、ここモニュメントバレーなのではないだろうか。 果てしない荒野と、メサ・ビュートと呼ばれる大岩のオブジェが独特の景観を作り出している。 私たちのグランドサークルの旅の二つ目の目的地であった。

モニュメントバレーへのアクセスとビューホテル

ビューホテルからのモニュメントバレー

お昼過ぎにモアブ(moab)を発った私たちは、夕方にはモニュメントバレーに到着した。 道中はメキシカンハットと呼ばれる岩に立ち寄ったくらい。 有名なモニュメントバレーに続く一本道の写真撮影はしたかったのだが、ちょうどその辺りを通る時に視界がほぼ無いくらいの豪雷雨に遭遇。 諦めることにする。
モニュメントバレーへのゲートにたどり着いた頃には雨は上がったのだが、残念ながら天気は今ひとつであった。 ゲートで20ドルの入場料を払い敷地に入りビューホテルに向かった。
ビューホテルはモニュメントバレーの敷地内にある唯一のホテルで、部屋のバルコニーからモニュメントバレーの荒野を一望することができる。 そのぶんお値段は高くなっており、普通のアメリカンタイプの一部屋が300ドルほどする。 しかし部屋のバルコニーにのんびりと座りつつ、夕暮れ時のモニュメントバレーの景観を満喫できることを考えれば安いものだろう。
唯一残念であったのは、天候に恵まれず夕日に染まって行くモニュメントバレーを見ることができなかったことだ。 日没後はちょっと疲れていたこともあり、部屋でインスタントヌードルを食べて就寝することにした。

ビューホテルからの日の出鑑賞

ビューホテルの部屋からの日の出

早朝夜明け前に起き出して日の出を待つ。 ビューホテルのもう一つの良い点は、バルコニーが東向きであることだ。 この方角のおかげでモニュメントバレーでは日の出を部屋のバルコニーから楽しむことができたのだ。 太陽がビュートの後ろから現れて来る様子に、眠たさも忘れて見入ってしまった。 ちなみに嫁はベストの角度と視界を求めて、ホテルのレストラン側の方に写真を撮りに行っていた。
朝食付きでホテルを取っていたので、その後朝食のブッフェを食べた。 レストランからの眺めもとても良いが、そんなにチョイスもなく味も普通。 何か買っておいて食べるならそれも良いだろう。

モニュメントバレーのトレイルで荒野の散策

朝食後にホテルをチェックアウトし、モニュメントバレー内のビュートの周りを一周するワイルドキャットトレイル(wildcat trail)に向かうことにした。 このトレイルの開始地点はとてもわかりにくく、しばらく見つけることができなかった。 掃除のお姉さんに聞くと、道なき道をおりて行けば良いとのこと。 実際には別の正しい開始地点があったのかもしれないが、とりあえずそこからおりていきいつのまにやらトレイルに合流していた。
ワイルドキャットトレイルは5kmの周回コース。 ホテルにはそれなりに人がいたが、このトレイルで見かけたのは一組くらい。 近づくと巨大なビュートと私たちだけが広大な荒野の中に静かに佇んでいるというのは、何やら不思議でもあり心地よい感じでもあった。 気温はかなり高くなっていたので、水休憩を頻繁にとりつつのんびりと一周。

Monument Valley

ワイルドキャットトレイルから撮影

モニュメントバレーの荒野をドライブ

ウォーキングの後は車に乗り換えて、モニュメントバレー内のドライビングコースに向かった。 SUVの車をレンタルし、またできれば4WDにしておきたかったのはここを走るためでもある。 とはいえ前日の雨にもかかわらず想定していたよりはずっと道の状態は良く、このドライブコースは普通の車でも大丈夫であったかもしれない(実際に普通の車が走っているのを見かけた)。
最初の下りが若干急勾配であり見た目的には不安な感じだが、走り始めてしまえば大したことはない。 このドライブコースには映画の撮影に使われたような場所がいくつかあり、そう行った地点での景観は確かに何かの西部劇で見たことのあるような感じであった。 しかし何よりもそういった光景の中を自分でドライブできるというのは、とても気持ちの良い体験でもあった。
敷地内のドライブはナバホ族のツアーに参加することもできるが、自分でドライブしてみるのも悪くないプランだと思う。

モニュメントバレービューホテルから去りつつ

ウォーキングとドライブが終わったのが午後2時前後であっただろう。 モニュメントバレーを離れ、アリゾナ州ページへと向かうのであった。

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D&X

海外旅行記・グランドサークル 〜メサアーチでの日の出

私たちのグランドサークルの旅でのベストの日の出は、ここメサアーチのものであった。
ちょうど東側向きに配置されたメサアーチと眼前に広がる広大な大地からの日の出は、言葉では言い表しがたい圧倒的なものであったのだ。

キャニオンランズ国立公園・メサアーチへのアクセス

メサアーチでの日の出

この日は日の出の二時間半前4時に起きだし、4時半にはホテルを発った。 モアブ(moab)からメサアーチのあるキャニオンランズ国立公園(canyonlands national park)までは車で45分ほど。
暗闇の中を運転していくことになるので、野生動物の飛び出しを含め運転には気をつける必要がある。 途中キャニオンランズ国立公園への入場ゲートをくぐるが、早朝の時間帯ならば無料で通り抜けられたはずだ。
駐車場はそれなりに広く、日の出の時間帯に埋まっていることはないだろう。 確かトイレも駐車場についていたと思う。

短いトレイルを歩きメサアーチへ

さて駐車場からは1kmちょっとの周回トレイル。 メサアーチはちょうど中間地点くらいにあるので、500mほども歩けばたどり着くことができる。 道中は日の出前であるのでもちろん真っ暗闇なので、何かしら照明を準備しておく必要がある。 私たちはヘッドライトを持参した。
多少道順がわかりにくいところがあるものの、大きく道を間違えるようなところはないと思う。 なんとなく歩き続けていれば、メサアーチにたどり着くことができるはずだ。
私たちは日の出一時間ほど前にメサアーチにたどり着き、この日の一番乗り。 嫁は写真を収めるベストスポットを探すべく、いくつかのポイントを見比べてテストをしていた。 しばらくうろちょろしていると嫁はベストな位置を見つけたようで、三脚を固定して日の出の時を待っていた。
私はアーチの周りを散策しつつ、ぼんやりと明るくなりつつある渓谷の眺めを楽しんでいた。  20分から30分前になるとメサアーチの周りには次々と人が現れ、各々自分のベストの場所を探しつつ日の出を待つ。 嫁は良い場所を取れていたようで、嫁の周りには多くの人が三脚を設置していた。

メサアーチに昇る日の出

そして冒頭に戻る。 太陽が最初に顔を出して、広大な渓谷を照らし出していき、そしてメサアーチを赤く染め上げる。 その十数分の間の景観の変化の美しさは、早起きして苦労してたどり着く価値のあるものであった。 英語版の方でそのうちの数瞬を切り取った写真を見ることができる。

日の出後のメサアーチ・別角度から

メサアーチでは、日の出の後も広大なキャニオンランズの眺めを楽しむこともできる。 しかし時間に余裕のある方は是非この日の出の時間帯を試していただきたい。

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海外旅行記・グランドサークル 〜アーチーズ国立公園

アーチーズ国立公園は私たちの旅の最初の目的地であった。 グランドサークルの北側に位置しており、グランドジャンクション空港から二時間ほどのドライブとアクセスが良かったからだ。 2時過ぎくらいだっただろうか、私たちはまずユタ州モアブ(Moab)に到着した。

デリケートアーチでの日の入りを目指したが

この日のメインの目的はデリケートアーチでの日の入りの鑑賞であったため、ベストウエスタンキャニオンランズインに先にチェックインをした。 その後ホテルの近くの四川レストランで、数品テイクアウトをしてホテルで食べた。 このレストランは最近のレビューはさほどでもないようだが、私たちの頼んだメニューは結構美味しかった。 それから近くのスーパーに立ち寄り、携帯食とペットボトルの水を30本くらいまとめ買いし車に積み込む。
もともと5時過ぎくらいにアーチーズ国立公園を訪れる予定だったのだが、この時点で4時。 待っているのもなんなので少し早めにアーチーズ国立公園に向かうことにした。

アーチーズ国立公園の入口はモアブから車で10分ほど。 ゲートでは国立公園の入場券を買う必要がある。 私たちは複数の国立公園を回る予定であったので、80ドルの年間パスを購入した。 ゲートをくぐってからのドライブの方がやや長く、30分ほどのんびりドライブをするとデリケートアーチの駐車場(Wolfe Ranch parking area)にたどり着いた。
デリケートアーチへのトレイルは2kmと少しだが、約150mの勾配がある。 この時点での気温が39度ー40度あり、また日陰のない岩場の中ではさらに暑く感じた。 しかし一つ目の訪問地に興奮していた私たちは、休みを取ることなく20分ほど歩き続けたのだ。
そんな中デリケートアーチへの中間地点くらいだっただろうか・・初めての水休憩を取っていたところで、嫁の母が日当たりをおこして倒れてしまったのだ。 少しだけ生えている木の陰に移動して、十分に水分をとってもらう。 しばらく休むともう大丈夫だという嫁の母であったが、これ以上登り続ける危険をおかすことはない。 デリケートアーチは諦めて、ゆっくりと下山することにした。
あーチーズ国立公園を夏場に訪問される方は、十分に休みをとりつつ歩く計画を立てていただきたい。 下山後車の冷房の中で十分に休んだ私たちは、もう一つ奥の駐車場に向かうことにした。 デリケートアーチは下からのビューポイントもあるのだ。

ビューポイントから:デリケートアーチと日没を待つ多くの人々

ウインドウズセクションの日の入りから月の出

その後で私たちはウインドウズセクション(windows section)に向かうことにした。 ウインドウズセクションでは、駐車場からほとんど歩く必要がなかったからだ。 この日は日没時はそれほど天気が良くなかったが、ウインドウズセクションのアーチと日没の雰囲気は何か静謐な感じがするものであった。
その後帰り道で車が何台か止まっているのに気づいた。 動物でもいたのかと隣に停めて周りを見渡して見ると、ちょうど月が昇るところであったのだ。 アーチーズ国立公園の平野を月明かりが照らす様はとても印象深いものであった。

アーチーズ国立公園での月の出

デビルズガーデンの散策

二日目は朝方にメサアーチでの日の出鑑賞をしてから再びアーチーズ国立公園を訪れた。 嫁の母も完全回復したため、デビルズカーデン(devils garden)のトレイルにチャレンジすることにした。 デビルズガーデンには広い駐車場があり、ビジターセンターから約30分ほどのドライブで到着できる。
この日もとても暑かったので、前日の反省を踏まえてゆっくりと休憩をとりつつ進むことにした。 とはいえこのトレイルはだいぶ平坦な道のりであり、また日陰も比較的探しやすい。 一時間ほどかけてランドスケープアーチ(landscape arch)までたどり着くことができた。 ランドスケープアーチは今にも崩れ去りそうな巨大な細いアーチである。 時折崩落があり、いつかは崩れ去ってしまう可能性があるので見れるうちに見ておいた方が良いアーチだ。 その先にも良いスポットがいくつもあるのだが、私たちはここで戻ることにした。

細く巨大なランドスケープアーチ

その後モアブのカフェでサンドイッチをつまんだ後、モニュメントバレーへと旅立ったのだった。

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D&X

 

海外旅行記・グランドサークル 〜ホースシューベンド

グランドサークルの自然の景観は水の力によるものが多い。 とはいえ夏場は乾燥しているところが多いこの地域の中で、ホースシューベンド(horseshoe bend)はコロラド川の流れと渓谷の完成された曲線美から、雄大な水の力を感じ取ることができる場所だ。

ホースシューベンドへのアクセス

ホースシューベンドトレイル

砂道のホースシューベンドトレイル

ホースシューベンドはアリゾナ州ページの近くにある。 同じくページの近くにあるアンテロープキャニオンが二時間程度のツアーであるため、1日のプランとしてはホースシューベンドと組み合わせるのは悪くない。 私たちはお昼のアンテロープキャニオンのツアーの後、食事をしてからホースシューベンドを訪ねた。
ページからハイウエイ89号に入ってすぐのところにホースシューベンドに向かうトレイルコースの駐車場がある。 しかし、例のごとくハイウエイからの入口がわかりにくいので、ナビがない場合は気をつけて見ておく必要がある。 ここの駐車場は十分な駐車スペースがあったと思う。
ホースシューベンドまでは駐車場から1km程度、若干のくだりをのんびりと歩いて行けばたどり着く。 しかし砂道であるため普段より疲れやすく、私たちが行った時は真夏で日差しも強かった。 そのためなかなかにタフなトレイルであった。 初日に嫁の母が日当たりしてしまったこともあり、200mおきくらいで水休憩をとりつつゆっくりとホースシューベンドまで向かった。 途中に屋根と椅子付きの休憩所が一箇所あったと思う。

写真家の楽園・ホースシューベンド

ホースシューベンド

ホースシューベンド正面から

写真で見直してみても、赤い大地と翡翠色のコロラド川のコンビネーションはとても美しい。 しかしアメリカ西部の青い空と白い雲、照りつける太陽とセットでの光景を直接見ると、それを何倍も印象深いものへと昇華させる。

写真家たちはこの雄大な光景を1枚の写真に収める努力をしている。 ウェブでホースシューベンドを検索すると多くの素晴らしい写真を見ることができる。 特にここは日の出が美しいことで有名なので、その時間帯の写真が多い。 私の嫁も日の出の時間に来たがっていたが、ちょっと疲れが溜まって来ていたのでパスさせてもらった。
ホースシューベンドの断崖には柵などは全くないので、各々の責任の範囲で歩き回ることができる。 多くの人は断崖ギリギリまでいって、肝試しのようにセルフィーをとるのを楽しんでいた。 私は高いところは得意ではないので、安全なところから写真をとっていたが、それでも何枚か気にいった写真を取ることができた。 素材が良いということは素晴らしいことだ。

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フランスで妊娠・出産11 〜出産後の手続き

出生届の提出と出生証明の取得

フランスで子供ができた場合、出生届を5日以内に出す必要がある。 この届を出さないと、フランスはおろか日本の出生登録まで滞るという非常に重要な届だ。 前情報では3日以内ということであったので、期日的には多少改善されたのかもしれない。 しかし5日以内と書いてある割に、何曜日までに登録しなさいという方の記載が若干不思議な感じなので注意が必要だ。

月曜日ー月曜日

火曜日ー月曜日

水曜日ー月曜日

木曜日ー火曜日

金曜日ー水曜日

土曜日ー木曜日

日曜日ー金曜日

さてグルノーブルアルプス病院の場合、出産証明は病院の方で作製し町役場の方に送ってくれる。 出産証明の作製には名前が必要なので、できれば先に名前を決めておいた方が良いだろう。 名前さえ決まっていれば出産後に即作ってくれる。 さて町役場(Mairie)に行くのに私が持参する必要があった書類は、嫁と私の滞在許可証とパスポート、戸籍の法定翻訳である。 記載事項に間違いがないかの確認を細かく行うため、フランス語に自信のない方は色々準備しておいた方が良いだろう。

ラトロンシュ役場

ラトロンシュ役場にて出生届

ラトロンシュ(La tronche)の役場はとても小さな役場だ。 入口を通り抜けると、受付は一人だけ。 出生届について書いてあるパンフレットを見せると、中に入るように言われる。 中に入ると、また受付の人がおり出生届は入口左側のコーナーだと言われる。
6席ほどの椅子に2人ほど待っている人がいたので、軽く挨拶をすると「出生届を出しに来たのか?」と聞かれる。 そうだと答えると、ここで待ってれば良いと教えてくれる。 特にチケットを取ったりはしないので、来た順番を自分たちで覚えておかないといけない。 次の人〜という感じで呼ばれるので、順番になったら中に入れば良い。
一人当たりの所用時間は30分から一時間といったところ。 両親の名前・生まれた場所・職業や子供の名前・生まれた場所・時間、住所などの個人情報を念入りに確認して、出生登録と出生証明書の発行を行う。 こちらも前情報とは少し異なっており、フランス語のフルコピー(copie intégrale acte de naissance)は何も言わずとも8部を作ってくれた。 多国籍言語での説明書きがついたコピー(extrait de l’acte de naissance)は何部欲しいか聞かれたため、5部欲しいといったらくれた。 後者が何個までもらえるのかは未確認。 ちなみにその日働いていた二人の職員は英語を話すことができた。

出生証明の提出先

証明書の有効期限は3ヶ月。 そのため出生後必要な手続きは3ヶ月以内に行うこととなっている場合が多い。 後々必要になった場合は、ラトロンシュ役場まで取りに来てくださいね。。と言われたが、海外にいる場合は郵送してもらえるのだろうか。 聞きそびれた。

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フランスで妊娠・出産10 〜数日の病院生活

〜出産0日目〜

無事出産を終えて病室に移動したのは夕方7時くらいだっただろうか。 ちょうど空いていたので幸いなことに個室を取ることができた。 混んでいる場合だと二人部屋になることもあるそうだが、新生児の面倒を見つつふたり部屋というのは結構大変なのではなかろうか。 個室にはシャワーとトイレがついており、後は病院のベッドが一台と小さなテーブル、棚などがあった。
病室に移った私たちは、何はともあれと夕食をいただくことにした。 朝3時からほぼ何も食べていなかったのでとてもお腹が減っていたのだ。 公立病院の出産後の入院では、三食が基本セットとしてついてくる。 ちなみに配偶者は1日10€で部屋に滞在することができ、朝食がついている。 夕食はメニューとしては普通のフランスの食堂といった感じで、ポタージュ系のスープ・キッシュ・野菜の炒めもの・肉の煮物・パエリア・パン・デザートなど。 産後の体調と母乳育児を考慮してか、塩分は極めて控えめであった(塩分0のメニューもあったくらい)。 一方で出産後は体力勝負であるとばかりにカロリーは高め。

グルノーブルアルプス病院 夕食

グルノーブルアルプス病院の夕食

私たちはお産用の手荷物しか持ってきていなかったので、2−4日の入院に必要な手荷物を持ってくる必要があった。 眠さをこらえつつトラムに乗り、事前に準備しておいた産後入院お泊まりセットを持ってきた。 病院は8時を過ぎるとメイン入口の鍵が閉まってしまうので、裏口の方からインターフォンで人を呼んでフランス語で妻と息子が入院中であることを説明する必要があった。
そんなこんなで無事病室に戻ることができたのは夜の11時くらいであった。 朝3時に起きてから密度の濃い1日を過ごした疲れが出て、すぐさま眠りについてしまった。。。 が、赤ちゃんはそんなことにはおかまいなく初日から元気である。 よく起きてよく泣いた。 あやしていたら寝直してくれるのだが、どうしてもまた起きてしまうのでナースコールを押す。 そうすると服の色でよく見えなかったのだが、実は少し母乳を戻してしまっていたのだ。 服を交換して寝袋タイプの布団を綺麗に拭い、胃の中身が降りていくようにしばらく抱っこしてあげた。 そうすると今度は朝までゆっくりと寝てくれたのだ。 こうして体力勝負の出産0日目が終わりを告げた。。

〜出産1日後ー3日後〜

ドアをノックする音で目をさます。 朝食を運んできてくれたのだ。 時計を見ると8時半。 病院の規則では、配偶者が泊まっている場合は8時半までに起きて片付けておかないといけない。 慌ててベッドを片付けて、朝食を運んでもらう。 朝食は選択制だった。 飲み物はコーヒー・紅茶・ホットチョコレートなど、メインを普通のパンかビスケット(乾パンのようなもの)から選ぶ。 後はヨーグルトか何かかが選べたのだが、ずっとヨーグルトを食べていたのでもう一つが何だったかは忘れてしまった。

入院中の生活は新しいこと・覚えることばかりだが、時間がゆっくりとした感じでもある。 新しい家族との生活を少しずつ学ぶことができた。 時折助産婦や医師が訪ねてきて嫁や赤ちゃんの検診をしたり、赤ちゃんの面倒の見方や授乳の仕方、お風呂のいれ方などを教えてくれる。 またナースコールを押せば助産婦がきてくれるが、すぐやってくることもあれば10分以上もやってこないこともあった。 ここら辺はフランスらしい。。 ちなみに英語を話す人の割合はだいたい半分程度か。 グーグル翻訳を使ってみたり、身振り手振りまじりのフランス語で大体なんとかなるものであったが。 その他の時間は赤ちゃんが泣いていれば、授乳かおむつ交換かあやすか。 赤ちゃんがよく寝てくれていれば、此れ幸いと私たちも仮眠を取る。
私は入院中に何度か買い物をしたり、ちょっとしたものを取りに家に戻ったりもしていた。 朝方の体温測定で赤ちゃんに熱があり、血液検査をしなければならないと言われた時はひやっとしたものだが、検査結果は異常なしであった。
大変だったのは二日目の夜である。 母乳が初乳から成乳に変わるため、赤ちゃんの食欲が凄まじいことになる。 一時間おきには起きて母乳を求めて泣き続ける。 私は起きるだけで良いが、嫁は母乳を毎度与えないといけないためとても大変な夜であった。
3日目からは少し長めに寝てくれるようにはなったが、入院中の夜はほぼ寝ては起きての状態であった。 後は3日目にボスが家族とお見舞いにきてくれた。 グルノーブルアルプス病院では午後2−8時がお見舞いの時間になっており、この時間内の出入りは自由のようだ。

〜出産4日後・退院〜

入院生活もあっという間に退院の日となる。 私は午前中に役所にいって出生関係の書類仕事を済ませ、夕方にボスの奥さんに車で迎えにきてもらった。 全て情報が登録されてるからなのか、保険で全額賄えるからなのかはわからないが、病院での退院手続きはなぜかゼロ。 助産婦に聞いたら、そのまま出て行けば良いということであった。 赤ちゃんが車が大丈夫か少し心配したのだが、短い距離であったので全く問題なくおとなしくしていてくれた。

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フランスで妊娠・出産9 〜出産後分娩室でのあれこれ

さて前回の投稿の通り無事出産を済ませることができた。 その後母子に何かあったときのため、数時間を分娩室で過ごすことになる。

  1. ポジションの変更
      嫁は出産の際椅子の背もたれ側向きのポジションをとっていたので、出産後のプロセスのために嫁を反転する必要があった。 この時嫁は赤ちゃんに完全に集中しきっていたので、呼びかけるものの反転してもらうのは結構大変であった。
  2.  へその緒のカット
      へその緒のカットは立会い人が望めば自分で切ることができる。 最初は母と赤ちゃんをつないでいる真ん中を、2度目は赤ちゃんのおなか側でへその緒の長さを短くするのに。 へその緒は思いの外硬い。 最初のカットではハサミが強いものではなかったので、切断するのに数回にわける必要があった。 2度目の方は少し大きめのハサミに変えたので簡単に綺麗に切ることができた。 もちろん少し血も出るので、苦手な方の場合は助産婦でやってくれる。
  3. 胎盤の除去・裂傷の縫合
      出産の後は胎盤の排出が軽い陣痛とともになされる。 その他全ての出産後不要なものを子宮から出し切る必要があるので、嫁はもう一度しっかりとプッシュする必要があった。 助産婦が念入りに全てが排出されたかの確認をしていた。 また裂傷がある場合は、この後に縫合をすることになる。 ちなみに麻酔はまだ接続中であったので、この間に数回追加した。
  4. 低血圧
      結構な出血量のため、出産後低血圧(高60・低40程度)になった。 気分が悪くなり顔色がだいぶ悪くなっていたので、足を上げて点滴(中身については失念、嫁はただの水分と言っていた)をした。 30分ほど安静にしていたらだいぶ良くなった。
  5. カンガルーケア
      赤ちゃんは体の水分を拭った後すぐに嫁の体の上にお腹合わせで置かれ、上部をタオルで包まれた。 私は知らなかったがカンガルーケアというそうだ。 上記のように嫁が低血圧で治療を始めてからは私の方に移された。 助産婦に突然上の服を脱げと言われた時にはなんのことかと思ったが、素肌でのふれあいが重要らしい。
  6. 初めての授乳
      最初の母乳はほぼ油分で量もあまりない。 しかし、抗生成分などの赤ちゃんのスタートアップに重要な成分を含んでおり重要である。 赤ちゃんは産まれたてで寝たくて仕方がないといった感じであったが、くすぐったりしながら起きてもらい母乳を飲んでもらった。
  7. 最初の身体測定
      生まれたての体重・身長などの測定をすぐに行う。 少し早く出てきたので、体重は3100gであった。 この間は少し泣いていたが、意外なことに生まれてすぐの間はそんなに泣かないものであった。
  8. 病院発行の出産証明書の作製
      フランスでは出生届を5日以内に行う(前情報では3日以内だったが規則が変わったのだろうか)。 そのために病院ではまず出産証明を作る必要がある。 記載内容は名前や体重・身長、出産時間など。 グルノーブルアルプス病院では、その場で記入して病院側でラトロンシュの町役場(Mairie)に送ってくれた。 名前が決まってない場合は別の方法もあるのかもしれないが、名前が先に決まっていれば手続きが楽になるだろう。
  9.  病室への移動
      二時間ほど待って嫁の体調が安定したところで病室への移動の許可が下りた。 嫁はキャスター付きの椅子で、赤ちゃんはキャスター付きのベッドで助産婦とともに病室まで移動した。

長くなってきたので、病室に移ってからのあれこれは別に投稿することにする。

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フランスで妊娠・出産8 〜急にやって来たその日・無痛分娩

ということで、無事グルノーブルアルプス病院にて出産を済ませることができた。。 当日のタイムライン・出来事を思い出しつつ描いてみたい。

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3:00 am 

嫁が陣痛らしきものを感じ始める。 痛みがないので前駆陣痛かもしれないと思いしばらく待機。

3:30 am

陣痛に痛みが出てきたので、嫁が私のことを起こす。 しばらく嫁の状況説明を聞き、その症状が前駆陣痛か陣痛か話し合う。 この段階では痛みの程度は軽かった。

3:50 am – 6:30 am

陣痛の頻度を測ってみることにする。 最初は6・7分間隔だった周期が、4時半頃には5分間隔になり始める。 これはいよいよ陣痛かもしれないと、病院に運ぶ荷物をまとめ出す。 事前の妊婦講習では陣痛が5分間隔になったら、二時間待ってから病院に行く様に言われていた。 そこでこの間、ベッドでのポジションを変えたり、バースボールに乗ったりして陣痛をやり過ごす。 6時も過ぎたころにおしるしのようなものも確認されたので、大家のおじいさんに病院まで車を出して貰えるかお願いに行く。 事前に陣痛が来たら送ってくれると言ってくれていたのだ。 この時大家さんはまだ寝ていたが、事情を話すと快く送っていただけることになった。 嫁はこれまた事前の講習で教わっていた通りにシャワーを浴びていた。 6時半頃には痛みが本格的に強くなっていた。

6:45 am

車で15分ほどのグルノーブルアルプス病院(CHU Grenoble Alpes)に移動する。 早朝なのでドライブは順調だったが、大家さんが病院の場所を勘違いしていて少し遠回りする。

7:00 am

病院に到着。 早朝なので裏側の緊急入り口から病院に入る。 この頃には歩くのもだいぶ辛い状態であった。 エレベータで2階に移動し、インターフォンを押して陣痛が来ていることを説明し中に入れてもらう。 (私たちの感覚では)のんびりと保険情報の登録などをし、中の診察室に移動した。

7:20 am – 8:20 am

診察室にはすぐ助産婦がやって来て、簡単な問診を行なったのち子宮口のサイズをチェックした。 この時に既に4cmまで開いており、初産でここまで家で待機できてるのは素晴らしい、と助産婦さんに褒められる。 4cmになっていたので、私たちはそのまま分娩室に移動することができた。 病院の規定では3cmまでの場合は、別室で待機だそう。 分娩室に入ると別の助産婦が待機していた。 こちらの助産婦は英語がとても流暢だったので私たちにはとてもありがたかった。 助産婦によると分娩室に入ったら無痛分娩を開始できるとのこと。 ただし麻酔科医を待たなければいけないということで、この待ち時間が嫁にとって最も辛い時間であった。 助産婦は分娩室は自分の部屋だと思って寛いでねと言って、しばらくしたら戻ると他の仕事に去っていった。 部屋は照明や空調が良くコントロールできるようになっており、またオーディオはスマホを繋いで好きな音楽を流せるようになっていた。

8:20 am

無痛分娩の開始。 幸いなことに麻酔科医も助産婦ほどではないが、聞きやすい英語を話した。 英語が通じるであろうということでグルノーブルアルプス病院を選んだが、私たちにとっては本当に良いチョイスであった。 麻酔科医と助産婦の説明を聞くと、最初に局部麻酔を使うとのこと。 その後で下半身麻酔のチューブを入れるという手順であった。 10分ほどの準備の後、実際に麻酔のプロセスに入る。 最初の局部麻酔はかなり痛かったようだが、その後の手順は特に何も問題はなかったようだ。 この後急激に陣痛の際の嫁の表情が改善し、私としてはやや楽に見ていられるようになった。 ちなみにこの時に麻酔追加用のボタンが渡され、痛みを感じた場合は自分で追加することができる。 しかし過剰投与を避ける為、一定時間内で追加できる回数は決まっている。

10:30 am

2度目の子宮口検診。 この時子宮口のサイズはほぼ7cm、助産婦の想定よりも早く進行していた。 この検診中に破水も起こり、後4・5時間くらいで出産までたどり着けるだろうという話になる。 ただし、この時子供の顔がおなか側を向いているとのことであった。 こちらの向きでも出産に問題があるわけではないが、背中向きの方がスムーズに出産ができるとのこと。 子供の向きを変えるための試みをしてみることになる。

10:30 am – 11:20 am 

ひざまづいてバースボールに前向きによりかかる姿勢をとる。 この姿勢は赤ちゃんが動きやすく、向きが変わる可能性が高いそうだ。 下半身麻酔の影響か足に力が入らず、若干鬱血気味になってしまったのが難点といえば難点だが、無事赤ちゃんの向きを変えることに成功した。

11:20 am – 0:30 pm 

赤ちゃんの向きが無事変わったので、今度は赤ちゃんが子宮口に向かっておりて来るのを助けるポジションに変えることになった。 具体的には体の左側を下にして横になり、少し高めの台座に右足を曲げて乗せ、左足は伸ばした形である。 この体勢は赤ちゃんのポジションを下げるのにとても効果的であった。 しかし、陣痛をより強く感じる体勢でもあったため、嫁は何度か追加で麻酔を使う必要があった。

12:30 pm

3度目の検診。 いよいよ子宮口が10cmまで開く。 ここから二時間以上待ってから、出産のための最後のプッシュ(いきみ)を始めるというのがこの病院のやり方であった。 なのでこの待ち時間は、プッシュの練習をしつつその時を待つということになる。

13:00 pm

まずは最もクラシカルな体勢、仰向けになり両足を抱えた状態でのプッシュを試すことになった。 また、息を止めてプッシュする呼吸法と、息を少しずつ吐き出しながらプッシュする呼吸方を試した。 嫁の場合は、息を吐き出しながらの方が相性が良かった。 なかなか上手にできていると助産婦に褒められる。 しかしここで問題が一つ。 この体勢は嫁にとって楽で陣痛が感じにくい体勢であった。 前回の陣痛の強かったポジションで麻酔を追加したため、この体勢では陣痛を全く感じることができなかったのだ。 そのことに不安を感じた嫁は、助産婦と話し合った上で別の体勢も試してみることにした。

13:50 pm

さてそのポジションであるが、ひざまづいて椅子の背もたれの方を向いてよりかかりお尻を両足首の間に配置するようなポジションであった。 この体勢の利点は赤ちゃんが降りて来るのに、重力が利用できること。 また、痛いというほどでもないが、陣痛の兆候をしっかりと感じることができたことにあった。 嫁はだいぶどのポジションを使うかを悩んでいた。 助産婦からの助言では、どの体勢でも出産はしっかりできるはず、そしてポジションを変えたかったら途中で変えても良いとのことであった。 短い話し合いの結果、後から試したポジションで最初のトライをしようという結論になったのだ。。

14:30 pm

いよいよ、プッシュの開始である。 陣痛のタイミングに合わせて、息を大きく吸い込み、思い切り細く吐き出しながら赤ちゃんを押し出す。 1回の陣痛につき3回のプッシュ。 最初の方はどの程度赤ちゃんが押し出されているかが見た目にはわかりにくく、見ている私としては若干不安にもなった。 しかし助産婦はしっかりと見ており、赤ちゃんが少しずつ押し出されていると嫁を励ましていた。 私は力になっているのかもわからないが、呼吸法を一緒になって行っていた。 数回のトライの末に赤ちゃんの頭がはっきりと視認できるようになってきたので、少しづつだが着実に進行しているのがわかった。 嫁はかなり消耗していたが、後もう少しであることがわかると少し気力を取り戻していた。

14:58 pm

30分ほどが経過して5・6回目の陣痛の波だっただろうか・・・ほぼ出かかっているという助産婦の言葉に、覗き込んでみると赤ちゃんの頭がしっかりと見える。 その陣痛の波は終わりかけていたが、最後のもうひと押しと嫁は全力でプッシュした。。。 するとズポっと赤ちゃんの頭が現れたのだ。 その後は陣痛中ではなかったかもしれないが、もうひと押しして赤ちゃんの体を押し出した。 赤ちゃんは水を少し吐き出して、少ししてからオギャーと泣き声をあげたのだ。 生命の誕生の瞬間はとても感動的であり少し泣けた。

******

今回私たちはフランスで出産をすることになったので、フランスでは多数派である無痛分娩を行うことになった。 私は今回無痛分娩に立ち会ったのだが、分娩室での多くの時間で嫁と普通に会話をしていた。 嫁が陣痛の間の体力の消耗を抑えることができたことも良かったし、精神的な余裕は麻酔なしの出産に比べてかなりあったと思う。 立会いをするのにも嫁が普段と変わらない状態であるため、心身面でのサポートもしやすかった。 日本では無痛分娩の割合はとても少ないようである。 出産前に多くの出産体験を読んだが、その多くが出産中の時間を辛い痛みに耐えつつ過ごしていた。 フランスでも麻酔なしの出産を選ぶカップルもそれなりにいるようであるし、それは各カップルの自由であろう。 しかし私たちは今回無痛分娩を選んで良かったと思っている。 少なくとも選択肢の中に無痛分娩があるということは、素晴らしいことであろう。

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フランスで妊娠・出産7 〜出産入院・持ち物リスト

フランス病院出産に持って行く持ち物リストの備忘録。

    1. パスポートなどのID証明
    2. 二人の戸籍(フランス語翻訳付き)
    3. 保険証(carte vitale)、保険会社の保険(mutuelle)
    4. 滞在許可証(carte de sejour)
    5. 嫁の血液型証明書(ラボラトリーで貰える)
    6. 超音波検査とその他検診の結果
    7. 赤ちゃんを社会保障に加入させるための申請書(保険会社から貰える)

続いて、赤ちゃん用品だがこれは日本でも大体同じであろう。

赤ちゃん用持ち物リスト

出:出産用 入:出産後入院用

    1. 下着(出:1着、入:6着)
    2. パジャマ(出:1着、入:6着)
    3. セーター(出:1着、入:4着)
    4. 帽子 (出:1つ、入:2つ)
    5. 赤ちゃん用寝袋 (入)
    6. おむつ一袋 (入)
    7. コットンのおしりふき (入)
    8. 赤ちゃん用体温計 (入)

その他、靴下・タオル・お風呂の温度計・退院用のお洋服などなど

    また出産後の母親用の用品

出産母親用持ち物リスト

    1. 水のスプレー (初)
    2. 産褥ナプキン (後)
    3. 使い捨て下着 (後)

その他、パジャマ・生理用品などなど

    上記はグルノーブルアルプス病院(CHU grenoble alpes)での必要リストである。 病院ごとに必要なリストはやや異なる。 最後に、嫁が自分で調べて追加で用意したもの。

追加持ち物リスト

  1. 授乳後用のクリーム (後)
  2. 授乳後用のコットン胸パッド (後)
  3. 陣痛判定用の痛み止め (後)
  4. ドライシャンプー (後)

実際に使ったもの、もっと用意が必要であったものについては後ほど追記する予定。

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