海外旅行記・ヨーロッパ 〜グルノーブルのホテル

今はグルノーブルに住んでいるので厳密には海外旅行記ではないのだが、ホテル・レストランなどの情報はこのカテゴリーの方が便利かなと思う。グルノーブルは研究旅行で実験などによく来ていたので、この投稿ではホテル情報をいくつか書いておきたい。

ちなみに価格については時期によって全く違うので参考までに。

グルノーブルの二つ星ホテル

二つ星ホテルはエアコンが付いていないことが多いので、夏場のすごく暑い日は扇風機だけだとちょっと寝苦しい。でも安いし部屋は綺麗だし、基本的には全く問題ない。

Hôtel Gloria à Grenoble

12 Rue Aristide Berges, 38000 Grenoble

グルノーブルの二つ星ホテル。
施設はまあ二つ星らしい感じで結構古めかしい感じだが、駅から近く立地は良い。一泊シングルルーム50ユーロといったところ。普通のベッドにそれなりに清潔なシャワーとトイレがついている。
朝食のクロワッサンとパンは結構美味しい。なぜだか私たちのグループは伝統的にここを使う傾向があった。

Hôtel des Alpes 

45 Avenue Félix Viallet, 38000 Grenoble

同じくグルノーブルの二つ星ホテル。何かの間違いで、グロリアが満室予約だったときに使った。70ユーロ前後。部屋はグロリアより広かったかな。朝食は記憶にないので外で食べたのだろう。

hôtel lux

6 Rue Crepu, 38000 Grenoble

同じく二つ星ホテル。やはりグロリアが空いてなくて一泊だけ取ったのだと思う。しかし部屋の内装も何も覚えていない。まあ覚えていないということは悪かったわけではないのだろう。何の情報にもならないな。。

Hôtel Institut

10 Rue Barbillon, 38000 Grenoble

1階のお部屋だったのだけど、迷路みたいな廊下になっていて階段からだと辿り着くのが大変だった。
部屋はダブルルームで60ユーロほど。ダブルベッドに加えてなぜだかシングルベッドも付いている部屋だった。部屋は清潔に掃除されていたし割と広かった。全部屋ではないかもしれないけど、私が泊まった部屋はシャワールームではなく、バスタブがついていた。暑い夏の日だったので使わなかったけど。
暑い夏の日といえば、この夜はエアコンなしではちょっと寝苦しい夜だった。扇風機全開で回してたらそれなりに涼しくはなったけれど。
朝食グーグルでは評判が良さそうだったけど、試す機会がなかった残念。

グルノーブルの三つ星ホテル

三つ星ホテルは設備が結構整うわりには、それほど値段が上がらないところもある。特にだいたいエアコンが付いているので、真夏は3つ星にしておいた方が寝やすいかもしれないね。

Hôtel ibis

27 Quai Claude Bernard, 38000 Grenoble

駅近くに二箇所ある三つ星ホテル。アメリカでポスドクをしていた時に利用。川沿いの方を利用した。部屋はコンパクトだが、清潔なバスルームがついていた。
朝食は結構セレクションがあって良かった記憶あり。クロワッサンはグロリアの方がおいしかったかな。
このとき一泊60ユーロ前後だったので、ここら辺の価格帯だとここが一番良かったかな。
グルノーブル市内にはたくさんあるようだけど、どこも全般に評判が良いようだ。ただし場所と時期によっては値段が上がる。

Residhotel Grenette

12 Rue de Palanka, 38000 Grenoble

こちらは同じ3つ星ホテルでもアパートホテルタイプ。私の泊まった部屋はシングルベッドが二つの部屋で、価格は70ユーロほどだった。全般に好印象。特に価格帯を考えても、長期滞在にオススメできる。
アパートホテルだけあって部屋は広々としていてキッチン付き。簡単な料理は可能。私の部屋はシャワールームだったけど、バス付きの部屋もあるって書いてあった。そしてヨーロッパのホテルにしては珍しくバストイレがセパレートだった。問題点としてはドライヤーが付いていなかったことくらい。髪短かったから問題なかったけど。
朝食は9€でつけられるけど、そこそこといったところ。クロワッサン、パンオショコラをはじめとして一通りパンが揃っている。ハムはあったけれどホットフードはなかった。甘味類は結構充実してたかな。
キッチンが付いていることを考えれば、自分で作っても良いという印象。

グルノーブルの四つ星ホテル

4つ星になるとだいぶ良い部屋になるけれど、価格帯も100€を超えて来る。

Le Grand Hôtel 

もうちょっとグルノーブルのセンターより。 トラムb線maison du tourismeのすぐそばの四つ星ホテル。私の両親が訪ねて来た時に、彼らが利用。 hotels.comで予約したところバス付きの部屋となっていたのだが、部屋に入ってみるとバスなし。フロントに確認すると、hotels.comからとるとバス付きの部屋にはならないとのこと。hotels.comのミスかなと思いつつも、一応設備は保証しないという但し書きがついていたので、まあしょうがないのかもしれない。
バス付きの部屋が空いてるか聞いたところ、ジュニアスイートが空いているとのこと。フロントのお姉さんがほんとはこの部屋50ユーロくらい高いんだけど一泊25ユーロプラスでいいわよ。とおっしゃっていたのでアップグレードした。 覗きにいってみたところ、部屋は広いしバス・トイレも清潔で大きい。 値段は結局1日130ユーロくらいだったのかな。

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フランスで新生児のパスポート取得に必要な時間は?

 

私たちの第一子は無事フランスで生まれたのだが、私の仕事の都合すぐにフィンランドに旅立つ必要があった。私たちに残されたフランスでの時間は1ヶ月半。そこで表題の疑問ということになったわけ。
フランスから出産後にすぐ移動しなければならない人はそんなにいないだろうけど、ひょんなことで何かの役にたつこともあるかもしれないのでまとめておく。

パスポート取得のために出産前に準備したこと

こういった疑問に答えてくれるのは、日本大使館もしくは領事館。さっそくリヨン領事館にメールを出してみた。

「生後1ヶ月でフィンランドに行きたいんだけどどうしたら良いですか?」

領事館「出生届をフランス領事館で出すと戸籍が間に合わないですね。日本に郵送で直接出生届を出して、それから戸籍を郵送してパスポート申請してください。出生届と出生証明抄訳の用紙を添付しておきいますね。 パスポート申請後は1週間程度で受領できますよ」

とのこと。大使館経由で戸籍に登録しようとすると1ヶ月以上かかるそうだ。 一応今度は日本の地元の市役所に問い合わせ。

「なるべく早く戸籍に子供を登録したいんだけどどうしたら良い?」

市役所「出生届と出生証明書をできるだけ早く提出してもらう形になります。 出生証明書は病院からの出産証明でも良いですよ。フランス語の翻訳は本人(私)で良いです。戸籍登録には7−10日程度かかりますよー」

とのことであったが、以前書いたように病院からの出生証明書はフランスでの手続きに必要なのでこれは無理。しかし日程的には間に合いそうな日程である。とりあえずフランスの役所で処理をして出生証明(copie intégrale acte de naissance)を手に入れ、それから日本に国際郵便で郵送することにした。

出産後のパスポート申請書類の準備

実際には子供が予定日よりも少し早く産まれて来てくれたので、予定よりは日程的に少し余裕ができた。しかしよくよく考えてみると、その後日本ではゴールデンウィークに突入し、フランスも5月は休日が多い。念のため書類をスキャンして先送りし、手続きが先に開始できないか市役所に問い合わせてみた。すると、やはり原本でないと手続きはスタートできないとのこと。さすが日本の役所はしっかりしている。
さらにここで問題が一つ発生。市役所が言うには、リヨン領事館からもらった抄訳の用紙では、どこがどう翻訳されているのかわからないとのこと。急遽フランスの出生証明書のコピーに直接翻訳を書き込んだ書類を準備することになった。
さて原本の方はドイツに本拠地を置く国際郵便会社DHLを使って郵送することにした。いくつか日本に国際郵便を速達で送る選択肢はあったのだが、確実性と値段の兼ね合いで一番良かったのがDHLであった。オンラインで申し込むと、即日か次の日DHLの職員が郵便をピックアップしにきてくれる。 ルート的には中国経由で日本に郵送されたようであったが、週末を挟んでいたが予定どおり4日で実家までたどり着いた。

さてすぐさま私の父に書類を持って市役所に行ってもらい、無事出生書類が受理された。その際、パスポート取得のため急いでいるということを一応伝えてもらう。そのおかげもあってか、なんと二日後には戸籍に子供が追加されたという連絡がきたのだ。ここで再び国際郵便を使う手もあったのだが、数日後に私の両親がグルノーブルを訪ねる予定になっていたため、数日をあせるよりは確実に運んでもらうことにしたのであった。翌週彼らがグルノーブルに到着し、パスポート申請のための書類が全て整ったのであった。

リヨン領事館でのパスポートの申請

領事館でパスポート申請に必要な書類は以下の通りだ。

  • 一般旅券発給申請書
    • 国外ではホームページから申請書のダウンロードが可能とあったが、ダウンロードしたファイルが壊れていて使えなかった。領事館を訪ねた際に用紙をもらえるので記入すれば良い。入力内容は名前住所などよくある個人情報。私の息子はフランスの出生証明の際にアルファベット表記を中国式の発音にしていたため、裏面にパスポート記載をヘボン式から変える申し込みをする必要があった。この変更のために、赤ちゃんのフランスでの出生証明書を見せる必要があった。
  • 戸籍謄本
  • 出生証明書(copie intégrale acte de naissance)
  • 写真1枚
    • 赤ちゃんなので嫁に写真撮影してもらって、近くのスーパー(Simply market)に持って行って印刷した。USBでデータを持って行ったら、USBポートが壊れていた。その代わりiPhoneのプラグがついていたので、そこからデータを抜いて印刷することができた。一枚25ユーロセント。
  • 旅券申請同意書
    • 嫁が中国人なので嫁にサインをしてもらって一応準備した。領事館に行ってみたら必要とのことだったので準備しておいて良かった。

領事館で提出の際に確認すると、翌週の同曜日にはパスポートが準備できるとのことであった。少しフィンランド移動まで余裕があるため、子供の調子が良さそうな時に取りに行く予定だ。

フランスの領事館で赤ちゃんのパスポート取得に必要な時間

長々と書いて来たが、投稿タイトルの質問であるパスポート取得に必要な時間は以下のような感じだった。

出生証明書の取得(1−3日間)+出生証明書・出生届の郵送(〜4日間)+戸籍登録手続き(2−10日間)+戸籍の郵送(〜4日間)+パスポート申請から受領(7日間)=18ー28日

というわけで最速で18日、遅くとも1ヶ月の余裕があればパスポート取得は可能といったところ。 戸籍登録をなるべく早くしていただけるようお願いするのがポイントでしょうかねー。

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フランスにて赤ちゃんが産まれて最初の2週間

子供が生まれてまもなく2週間と少しが経とうとしている。 生活はそれまでと一変してやはり子供中心の生活になっていることを感じる。 のちに振り返るためにも、この2週間のできごとを綴っておきたい。 特に父側で大変だったことを。

〜夜泣きベイビー〜

新生児は二時間くらいしか続けて寝てくれないので、どうしても夜起きてしまう。 そうすると泣いている赤ちゃんの、オムツを替えて授乳してというのを1時、3時、5時といった時間にする必要がある。
日本の世のお父さん、お母さんが普通にこれをこなしつつ仕事をこなしていけるのが不思議でしょうがないが、私にはやっぱり結構大変だ。 現在の職場はまあ理解があるので、ちょっと不規則な時間で就業したり、たまに家から働くのを許していただいている。 それでもやっぱりちょっと大変だ。

〜オムツ交換〜

うちではだいたい三時間に1回くらいオムツを替えているが、私が替えることが多い。 準備するものは、体温程度のお湯・コットンパッド・替えのオムツ・かぶれ用のクリーム。 うちの子は大きい方をしていることが多いので、毎回しっかりとふいてあげないといけない。 フランスでは5x10cmくらいのコットンパッドがオムツ交換用に売っている。 ちなみにオムツはフランスではパンパースが多い。
最初はオムツをさっと外すが、オムツはお尻の下においたまま。 お尻についている汚れを体温程度のお湯で濡らしたコットンパッドでふき取り、コットンパッドはオムツの中に捨てる。 オムツ替えの間に赤ちゃんが追加でいたすときがあるので、念のためおむつを下にとっておいた方が良い。 また赤ちゃんの足が暴れていることも多いので、カエルのような形にして両足を片手で抱えておく。 それなりにしっかりとかかえておかないと、汚れのついたオムツを蹴っ飛ばしたりするので危険なのだ。
十分に汚れを拭き取ったら、かぶれができていないか確認する。 赤くなっているようだったら、クリームやオイルを塗ってあげる。 古いオムツを小さく丸めて捨て、新しいオムツを広げて腰の後ろに片側の端をセットする。 反対側を股下を通しておなか側に移動し、長さが余っていたら二回折りたたんで長さを調節する。 腰側についているテープを伸ばして両脇から止めたら出来上がり。

〜赤ちゃんのお風呂〜

フランスではお風呂は3日に1回くらいは入れるようにというような指導を受ける。 日本に比べて少ないのは、湿度が低い気候の影響だろうか。 お風呂は37度程度に温めたベビーバスを準備する。
赤ちゃんは適当な台の上でタオルの上に寝かせておく。 まずはベビーソープを濡らしてあわ立てて、頭、体、手足と洗って行く。 首回りや耳の後ろなど結構汚れがたまっているのでしっかり洗ってあげる必要がある。 最後に体を半回転させて体の後ろを洗う。
十分に洗いきったら、左手を首の後ろから回して脇のしたを抱えるようにし、右手はお尻の方を持って持ち上げお湯に入れる。 洗っている間はギャン泣きしているが、お湯にある程度つけると泣き止んで大人しくなる。 そこで右手は体から離して、右手でお湯をかけつつ泡を流してあげる。 左手が高すぎてお湯が足りなくて赤ちゃんが寒かったり、下げすぎて耳に水が入ったりしないように気をつける必要がある。 十分石鹸を流してからお湯から引き上げて、新しいタオルの上にあげる。 しっかりと拭いて服を着せてあげたらおしまいだ。

〜退院後の助産婦訪問〜

フランスでは退院後には助産婦が家を訪ねてくれる。 私たちの場合は、出産前講習でお世話になった英語が堪能な助産婦が訪ねてくれている。 出産して病院から退院したすぐ次の日から来てくれるのでとても助かっている。 簡単な検診をしてもらえたり、色々わからないことを質問したりできるのだ。 病院に行くのは産後1ヶ月後なので、それまでは助産婦の助けの元新両親生活をスタートしていくことになる。 特に退院後すぐは右も左もわからない状態だったりするので、助産婦の助けはとてもありがたかった。 助産婦訪問は基本的に無料である。 しかし産後2週間後からは一度20ユーロ程度を助産婦に支払ってから、社会保険で払い戻しを受けるというシステムに変わる。

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜パリの素敵な美術館

パリ旅行3投稿目。 オルセー美術館・オランジュリー美術館を満喫し、ルーブル美術館での驚きの体験の後でも、パリにはまだまだ見るところがたくさんあるのだ。

5日目 〜マルモッタンモネ美術館・ヴェルサイユ宮殿

この日は2月の第一日曜日。 公共施設が無料で利用できる日だ。 なのでとりあえず美術館や公共施設に向かおうという話になる。 最初に向かったのはマルモッタンモネ美術館。 この美術館はやや外れにあるので、私たちのホテルから辿り着くにはChâteletから地下鉄を乗り継いで40分程度。 わかりやすい看板が地下鉄の外にあまりなかったので、事前にある程度場所を調べておいた方が良いだろう。 ちなみに夜に友人宅を訪れる予定があったため、zone1-5の地下鉄、国鉄SNCFやRERが1日乗り放題のチケットを17ユーロで購入した。 さて辿り着いてみたところ、第一日曜日にもかかわらずほとんど人がいなかった。 不思議に思いつつも、受付を素通りしセキュリティーチェックのところまで行ってみる。 するといかついセキュリティーのお兄さんがチケットを見せろという。 なので今日は第一日曜日だから無料でしょ?と尋ねてみる。 するとマルモッタンモネは私立美術館だからただじゃない、受付でチケットを買ってきてとのことであった。。 なるほど、それなりに有名な美術館だからすっかり公立だと思い込んでいたが、私立美術館じゃあ無料にはならないのは当然だ。 大人しく受付に戻ってチケットを3人分購入した。 中に入ると、ヨーロッパタイプの家の部屋の中に素敵な絵画や芸術品が飾られている。 2階も似たような感じであり、素敵な雰囲気の美術館である。 しかしこの美術館の本番はミュージアムショップを通り抜けた先にある地下にある。 地下には大きな1フロアがあり、そのフロア全体がモネの絵で囲まれているのだ。 印象派・モネ好きにはたまらない空間だ。 小さな美術館であるがこのフロアを見るためだけに、マルモッタンモネ美術館を訪れる価値があると断言できる。 特に印象派の由来となったとされる「印象・日の出」は一見の価値がある。

私たちはマルモッタンモネ美術館を後にし、RERを使ってヴェルサイユ宮殿に向かった。 途中乗り換える必要があったのだが、これが結構わかりにくい。 ホームに電光掲示板があるので、行き先をしっかりと確認しよう。 反対側のホームに行く場合は地下通路があった。 行き先が違う電車が同じホームに入ってくるため、行き先を十分に確認してから乗る必要がある。 ヴェルサイユは終点なので、降りる方は簡単であったが。 ヴェルサイユ宮殿の入り口までは駅から歩いて10分くらい。 簡単なセキュリティーチェックを抜けるとヴェルサイユ宮殿前の広場に入れる・・・のだが、そこにはとてつもなく長い列ができていた。 この列はヴェルサイユ宮殿の宮殿内に入るための列である。 無料の日なので長い列はある程度覚悟していたのだが、ここまでの列は想定外。 ちょっと話し合った結果せっかくなので、列に並んで見ることにした。 結局入り口に入るまでにかかった時間は二時間程度であった。 トイレは入ってすぐのところにあるが、タイミング次第では結構待つことになるかもしれないので注意。 気になる方は無料の日は避けた方が良いかもしれない。 宮殿内では豪華絢爛であったであろう宮殿の雰囲気を楽しむことができる。 中庭は並ばないで入ることができるし、なかなか綺麗なので時間があるなら立ち寄る価値はある。ヴェルサイユ宮殿中庭

ヴェルサイユ宮殿の中庭

ヴェルサイユ宮殿を後にした私たちは、嫁の中学校の時の同級生宅へと向かった。 RERのC線を終点まで北上し、そこから友人の迎えで家まで移動した。 嫁の友人にフランス料理をふるまってもらいつつ、楽しい時間を過ごすことができたが、問題は帰り道であった。 10時過ぎくらいに駅から電車のH線に乗ってパリの中心地まで戻って来たのだが、電車自体は新しく綺麗であったものの酔っ払い客などが多く若干不安な感じ(まあ東京でもそんなものかもしれないが)。 また最後に乗り換えてChâteletまで戻る際には、RERのB線を一駅使わないといけなかった。 この電車はとても古くて薄暗く、客層もあまりよろしくない感じであった。 一駅だけだったし十分に警戒していたこともあって何も問題はなかったのだが、夜間に長距離乗りたい感じの電車では決してなかった。

昼食 スキップ

夕食 友人宅

6日目 〜ポンピドゥー・センター

パリの現代美術館。 最終日なのでホテルからチェックアウトだけして、ホテルに荷物を預けて出かけた。 そのため最終日はホテルからは歩いてすぐのところにあった現代美術館、ポンピドューセンター(Pompidou Centre)を訪ねることにした。 私は現代美術は全く知識も理解もないので流し見するだけであったが、建物は現代的な建築であり見ていて楽しい感じはあった。 現代美術館らしくミュージアムショップは品揃えが良くて、おしゃれなものが多く楽しめた。 その後ホテルで荷物をピックアップしたのちにリヨン駅に向かい、TGVでグルノーブルへと旅立つのであった。

ポンピドゥセンター

ポンピドゥセンター外観

レストラン情報

昼食 IT Trattoria ☆☆☆

ポンピドューの近くのパスタとピザのお店。 他はサラダとかコーヒーとか。 クリームソースが少し重たかったけど、パスタは美味しかった。 フランスのお店のコーヒーはほぼ美味しい。

夕食 リヨン駅で買ったサラダ、サンドイッチなどをTGV車内にて

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜何かが起こったルーブル美術館

前回の投稿に引き続きフランスはパリ旅行記。

3日目 〜ルーブル美術館

パリ旅行の三日目はルーブル美術館を訪れることにした。 ルーブル美術館は言わずと知れた世界最大級の美術館である。 私たちのパリの旅でも、もちろんメインの目的地の一つであった。 チケットはオンラインであらかじめ購入し持参。 二月の混雑していない時期であったため、真ん中の透明ピラミッドの入り口から入場することにした。 待ち時間はほとんどなし。 入場すると無料のロッカーがあるので、そこにカバンと上着をしまってルーブル美術館の探索を始めたのだった(このことを後ほど若干後悔することになる)。

ルーブルは巨大な美術館なので事前のプランニングが重要だ。 私の父がすでに何度かルーブルに来ていたため、私たちは彼のおすすめのプランをなぞることにした。 始めはサモトラケのニケを見る。 まさに教科書で見たままの姿だ、ちょっと感動。 続いて通路の展示品を眺めつつルネッサンスエリアへと向かう。 その辺に何気なくおかれているダビンチの絵などに驚きつつ、大広間へと移動したモナリザを見に行く。 モナリザはやはりあの有名なモナリザである。 見た人々が常に思っていたより小さかったという感想を述べるため、どれだけ小さいのかと思っていた私は、逆にそれなりに大きいなという印象を受けた。 さてそのまま大広間を抜けた私たちは、ナポレオンの戴冠など巨大絵画が並ぶコーナーへと向かった。 このコーナーは有名絵画が多く、その一つである民衆を導く自由の女神を眺めつつ、そういえば高校の社会科の授業で習ったななどと回想していたりした。。。

そんなときであった。 急に不思議な館内放送が流れ出したのだ。 それは平板なトーンであまり意味があるように感じられないような放送だった。 私のフランス語のリスニング能力は皆無に等しいので、フランス語だったのかもしれないがわからない。 館内放送の故障かなと気にしないことにして、鑑賞を続けることにした。 しかしそれからほんの少ししてからだった、ルーブルの職員が奥の方から現れて、逆の方向に行くように指示を出し始めたのだ。 大人しく従いつつも、これは有名人でも現れて一角を封鎖でもするのかなと、職員の反対側をのぞいて見ていたりした。 どうやらそういうわけでもないようなので、移動しつつ職員にどうなっているのか聞いて見る。 その時は職員もよくわからないと答えていた。 しばらく歩き続けていると同じ方向に歩く人たちが少しづつ増え出しており、これは何かしら起こっているのかもしれないと思いだす。 またこの頃には職員も「早く進んでください、これはあなたたちの安全のためです」というニュアンスのことを言い始めていた。 実は私たちは避難中であったのだ。 その後ルーブルの一角に避難した私たちは、安全が確保されるまで二時間ほど閉じ込められることになる。 ルーブルの職員はほとんど情報をくれないため、インターネットで原因を検索した。 するとどうやらルーブルの入り口の一つに、大型ナイフを持った男が現れて警備の兵士に撃たれたというのだ。 後ほど読んだニュースの情報では、計画的とは言い難いような事件ではあったのだが、フランス国内ではテロ事件として大々的に報道されていた。 避難室では窮屈に閉じ込められていたものの、安全は十分に確保されている雰囲気であり、それほど緊張を強いられることはなかった。 仮設の?トイレは一つしかなかったので一時間も超えたあたりからトイレに行列ができていたが。 二時間ほど待つと、外に出るように案内された。 この後どうなるんだと尋ねると、外に出れば大丈夫とだけ言われ詳細は教えてもらえない。 その後出口で武装警察によるボディーチェックを受けたのち、ルーブルの敷地外まで案内されたのだった。。。

事件後のルーブル

事件後のルーブル出口

敷地から出ると多くの報道陣や警察が周囲を囲んでおり、情報が欲しくともどこへ行ったら良いのかもわからない状況であった。 ようやく一人のルーブル職員を捕まえるもめぼしい情報はなし。 ダウンジャケットもカバンもルーブルのロッカールームだったため、寒いのを我慢して少しの間情報のアップデートを待っていたが何もなし。 諦めて近くの喫茶店に入り、昼食を食べることにした。 のんびりと時間をかけて昼食を食べ終えるが、有用な新しい情報は出て来てはいなかった。 私たちは次の日もパリにいるので、カバンはひとまず諦めてホテルに戻ることにしたのだった。 さすがにちょっと気疲れした私たちは、午後一杯ホテルで休むことにした。 その後少し気力を取り戻し、歩いて中華料理屋まで夕食を食べに行って、何かと疲れた1日を終えることができたのだった。 ちなみに夜7時過ぎにルーブルからきていたメールによると、この日のチケットは3日間有効になるそうだ。 カバンもルーブルの中だし、嫁も父もやる気だったので翌日もう一度ルーブルを訪れることにした。

レストラン情報

昼食 Café des Beaux Arts ☆☆☆

事件後慌てていた中でのんびりと、昼食とコーヒーを取ることができた。 店内がおしゃれ。 普通のカフェの食事といった感じで、バーガー、キッシュ、オムレツを注文。 料理はそれなりに美味しかったかな。

夕食 Mirama ☆☆☆☆

アジア系の食事には点が甘くなっているかもしれない。。 普通の中華料理だけどやっぱり美味しかった。 青島ビールと美味しい中華で事件疲れを多少なりとも取ることができた。 エビワンタン麺を食べた。

〜ルーブルの事件対応について〜

ルーブル職員の対応は優れていたのではないかと思う。 多数の美術品の中100人近い人をパニックをおこさせることなく誘導するというのは、重要なことでありとても難しいことではないだろうか。 ほぼ全ての時間不安を感じることなく、待っていることができたのは職員の努力も大きかったかと思う。 一方で、待ち時間はともかくお客さんをリリースする際の情報公開は、もう少しできても良かったのではないかと思う。 事件捜査との兼ね合いで情報が出しにくかったのかもしれない。 しかし、その場で待っていた方が良いのか、しばらくは何の情報も出ないから一度ルーブルから離れた方が良いのか、というような大雑把な情報だけでもあれば、その後の動きを決める手助けになったと思う。 あとは国際旅行など限られた時間の中で来ている人が多いルーブルで、チケットを三日しか延長しないのはちょっと短いかな。 3年延長とかにしておけば戻ってこれる人もいるかもしれないのにとは思った。

 

4日目 〜ルーブル美術館

ミロのビーナス

ミロのビーナス

というわけで再びやってきた、ルーブル美術館である。 この日は地下鉄の駅から直接入場口に向かうが、事件の翌日にもかかわらずとても混んでいた。 そこで私の父が知っていた、パッサージリシュリュー入り口に向かうとすぐさま入ることができた。 ロッカールームを確認すると、中の荷物は無事入ったままであった。 入り口では前日のチケットを見せるとその日の日付入りのスタンプが押されて中に入ることができた。 この日は半地下の中世ルーブルの遺跡を通り抜けて、ミロのビーナスへとまず向かう。 うん、やはりどこかで見たことのあるビーナスだ。 その後昨日途中になってしまった、自由の女神近辺の絵画を再び眺める。 事件後も何も変わらない自由の女神の姿がそこにはあった。 その後はのんびりと1日かけて残りの展示品をほぼ完走した。 ハンムラビ法典とレンブラントがフロア改修中で見れなかったのがちょっと残念。 途中カフェアンジェリーナでのお茶と昼食休憩を挟んだ。

パリ旅行の続きは次の投稿で

レストラン情報

喫茶 Café Richelieu / Angelina ☆☆☆

サービスは英語で丁寧にしてくれた。 ケーキやフルーツ・コーヒーは美味しかったが、やはり高い。 まあ場所代と考えれば悪くはない。

昼食 出口を出てすぐのフードコートのようなところ ☆☆☆

ファストフード的に食べるには十分。 値段も立地を考えればあまり高くない。 ワインを買ったら、コップは2ユーロ?(定かではない)で返却すればお金を返すよってシステムであった。

夕食 ギャラリーラファイエットのお惣菜のお持ち帰り ☆☆

父によると昔に比べてお惣菜コーナーの規模が縮小したのかな。 中華コーナーの店員の対応があまりよろしくなく、スキップして地中海料理のお店で何品か見繕う。 あとはピザ。 例のごとく嫁は気にしていなかったので、さほどひどくはなかったのだろう。 食事はまあお惣菜コーナーなので普通、コストパフォーマンスは良かったと思う。

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜一度は訪れたい都パリ

残念なことに昨今どうしても治安の悪さなどが目立ってしまうパリである。 それでもパリはパリ。 いつかは必ず行きたい都市の一つだ。 治安が劇的に改善される可能性は残念ながらそう高くはないだろう。 そこでフランス在住であるこのチャンスに、メインの美術館だけでも回ってくることにしたのだ。 まずは旅行前にパリについて前情報の収集。

職場のボス「パリは危ないよ。 気をつけてね」

最近国外移住した友人「パリは窃盗・スリが多い。 最近はカツアゲも多い。 気をつけてね」

職場の友人「リヨンは安全!」

・・・不安である。。

1日目 〜モンマルトルの丘・凱旋門・シャンゼリゼ通り

何はともあれ移動はTGV。 グルノーブルからリヨン国際空港に1回停まるだけで、三時間半くらいでパリのリヨン駅(gare de lyon)に到着した。 とりあえず地下鉄のカルネ・10回券を窓口で買って地下鉄でホテルまで移動した。 ホテルはプライスラインでヒットしたホテル デ デュック ダンジュー(Hôtel des Ducs D’Anjou)に5連泊。 一泊90ユーロくらいだったと思う。 朝食はクロワッサン、パンオショコラなどをメインに、ベーコン・卵など少しの暖かい料理、ハム・チーズ、ヨーグルト・ナッツなどがついており結構良かったと思う。 ただし朝食が料金に入っていないプランならば、外に出てどこかで食べた方がコストパフォーマンスが良いかも。 実は私たちのプランは朝食なしだったことがチェックアウト時に判明したのだが、ホテル側のチェックイン時の手違いが原因であったので無料になったのだった。

パリ・モンマルトルの丘

パリ・モンマルトルの丘から

ホテルにて日本から来た私の父と合流し、ホテルの近くのパン屋さんでパンなどを買って昼食にした。 初日は特に予定は立てていなかったのだが、地下鉄に乗ってモンマルトルの丘を訪ねることにする。 とても眺めの良い丘であり、パリを一望することができる。 その後ムーランルージュ方面へとぶらぶらしつつ、映画アメリのカフェでビールを一杯。 地下鉄に乗ってエッフェル塔をチラ見、その後凱旋門に向かう。 そのままシャンゼリゼ通りを歩いて、ルイヴィトンに立ち寄ってみると春節のイベントをやっていた。 中国が今はメインの客層なのだろうか? エスカレーターで最上階まで上がってぐるぐる降りてくる構造のお店。 お店はおしゃれで見ていて楽しかった。 もちろん何も買わなかったが。 さらにシャンゼリゼ通りを歩いて、ベルギーレストランでディナー。 普通に美味しかった。

レストラン情報

昼食 Boulangerie Dheilly ☆☆☆

キッシュが美味しかった。 クロワッサン・パンオショコラなどは普通のフランスレベル、おいしい。

休憩 映画アメリのカフェ(Café des Deux Moulins) ☆

クレープは普通。 飲み物はビールだったのでまあ普通。 接客がびっくりするくらい悪かった。 おすすめはしない。 が、ウェイター次第だろうし、フランス語が堪能なら大丈夫かも。 嫁はあんまり気にしていなかったので私がセンシティブなだけかもしれないが。 と思ってグーグルのレビューを見たら、時折最悪の接客というコメントあり。 同じ人にあたったのかな。

夕食 Léon de Bruxelles – Champs Elysées ☆☆☆

ムール貝が有名。 ビールに良くあっておいしかったけど、ムール貝はムール貝。 サラダが良かったかな。 妊娠中の嫁用に頼んだ牛肉の煮込みももそこそこ美味しかった。

2日目 〜オルセー美術館・オランジュリー美術館

ホテルで朝食を食べた後バスでオルセー美術館に向かう。 オープン10分前の9時20分からチケットを買う方の列に並んだが、二月の平日だったので全く混んでいなかった。 オランジュリーとのコンボチケットを買って入場。 リュックタイプのカバンはクロークに預ける必要あり。 私たちは最上階の印象派のフロアをすぐさま訪れた。 このフロアには数多くの印象派の作品が展示されており、印象派好きにはたまらない。 もくろみ通りしばらくの間はあまり人が来ず、数多くの名画をのんびりと眺めることができたのだった。 その後他のフロアや特別展示などを鑑賞し、お昼はオルセー美術館内のカフェで軽く済ませた。 2時過ぎくらいにはオルセーのメインの展示物を見終えることができたので、後ろ髪を引かれつつもオランジュリー美術館に移動した。 オランジュリー美術館はオルセーから歩いてすぐ。 ここはなんといってもモネの睡蓮の絵を見るためにあると言っても良いだろう。 計8枚の横幅10m超の睡蓮の絵が、この絵画を展示するために作られた二つの展示室に飾られているのだ。 私たちを取り囲む異なった表情を見せる睡蓮の絵達に、時を忘れて見入ってしまっていた。 その後オランジェリーのその他の展示を一通り鑑賞して、この日の密度の濃い絵画鑑賞を終えることになった。 その後はライトアップされたノートルダム寺院の脇を通り抜けて、L’INITIALという日本人シェフのフランス料理屋でディナーを食べてホテルへと戻った。

レストラン情報

昼食 The Café Campana ☆☆☆

オルセーはレストランが結構有名だったので少し悩んだのだが、軽く食べたかったのでこちらのカフェをチョイスした。 印象派のフロアを出てすぐにあるので、印象派で疲れた足を癒すのにちょうど良いかもしれない。 サービスは迅速だったし結構良かった。 味はよく覚えてないので、まあ普通だったのだろう。

夕食 Restaurant L’INITIAL  ☆☆☆☆☆

滞在中で一番美味しかったレストラン。 日本人シェフの作るフレンチ。 従業員はみんな日本人。 日本語での落ち着いたサービスが受けられるのは、海外旅行に気を張っているなか心休まるし嬉しいものだ。 せっかくなのでプレート数の多い48ユーロのコースを頼んだ。 正直48ユーロで良いのか不安になるくらい、全ての料理が美味しかった。 なかでもフォアグラのソテーと果物の柿を合わせたプレートと、牛肉とトリフュのステーキは絶品。 日本人シェフのセンスを感じるメニューであった。 三時間ほどかけてゆっくりと料理を楽しむことができた。 もう一度パリに戻るときは是非とも再訪したいレストランである。

長くなって来たので、旅行の続きは次の投稿に回すことにする。

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フランスで妊娠・出産11 〜出産後の手続き

出生届の提出と出生証明の取得

フランスで子供ができた場合、出生届を5日以内に出す必要がある。 この届を出さないと、フランスはおろか日本の出生登録まで滞るという非常に重要な届だ。 前情報では3日以内ということであったので、期日的には多少改善されたのかもしれない。 しかし5日以内と書いてある割に、何曜日までに登録しなさいという方の記載が若干不思議な感じなので注意が必要だ。

月曜日ー月曜日

火曜日ー月曜日

水曜日ー月曜日

木曜日ー火曜日

金曜日ー水曜日

土曜日ー木曜日

日曜日ー金曜日

さてグルノーブルアルプス病院の場合、出産証明は病院の方で作製し町役場の方に送ってくれる。 出産証明の作製には名前が必要なので、できれば先に名前を決めておいた方が良いだろう。 名前さえ決まっていれば出産後に即作ってくれる。 さて町役場(Mairie)に行くのに私が持参する必要があった書類は、嫁と私の滞在許可証とパスポート、戸籍の法定翻訳である。 記載事項に間違いがないかの確認を細かく行うため、フランス語に自信のない方は色々準備しておいた方が良いだろう。

ラトロンシュ役場

ラトロンシュ役場にて出生届

ラトロンシュ(La tronche)の役場はとても小さな役場だ。 入口を通り抜けると、受付は一人だけ。 出生届について書いてあるパンフレットを見せると、中に入るように言われる。 中に入ると、また受付の人がおり出生届は入口左側のコーナーだと言われる。
6席ほどの椅子に2人ほど待っている人がいたので、軽く挨拶をすると「出生届を出しに来たのか?」と聞かれる。 そうだと答えると、ここで待ってれば良いと教えてくれる。 特にチケットを取ったりはしないので、来た順番を自分たちで覚えておかないといけない。 次の人〜という感じで呼ばれるので、順番になったら中に入れば良い。
一人当たりの所用時間は30分から一時間といったところ。 両親の名前・生まれた場所・職業や子供の名前・生まれた場所・時間、住所などの個人情報を念入りに確認して、出生登録と出生証明書の発行を行う。 こちらも前情報とは少し異なっており、フランス語のフルコピー(copie intégrale acte de naissance)は何も言わずとも8部を作ってくれた。 多国籍言語での説明書きがついたコピー(extrait de l’acte de naissance)は何部欲しいか聞かれたため、5部欲しいといったらくれた。 後者が何個までもらえるのかは未確認。 ちなみにその日働いていた二人の職員は英語を話すことができた。

出生証明の提出先

証明書の有効期限は3ヶ月。 そのため出生後必要な手続きは3ヶ月以内に行うこととなっている場合が多い。 後々必要になった場合は、ラトロンシュ役場まで取りに来てくださいね。。と言われたが、海外にいる場合は郵送してもらえるのだろうか。 聞きそびれた。

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フランスで妊娠・出産10 〜数日の病院生活

〜出産0日目〜

無事出産を終えて病室に移動したのは夕方7時くらいだっただろうか。 ちょうど空いていたので幸いなことに個室を取ることができた。 混んでいる場合だと二人部屋になることもあるそうだが、新生児の面倒を見つつふたり部屋というのは結構大変なのではなかろうか。 個室にはシャワーとトイレがついており、後は病院のベッドが一台と小さなテーブル、棚などがあった。
病室に移った私たちは、何はともあれと夕食をいただくことにした。 朝3時からほぼ何も食べていなかったのでとてもお腹が減っていたのだ。 公立病院の出産後の入院では、三食が基本セットとしてついてくる。 ちなみに配偶者は1日10€で部屋に滞在することができ、朝食がついている。 夕食はメニューとしては普通のフランスの食堂といった感じで、ポタージュ系のスープ・キッシュ・野菜の炒めもの・肉の煮物・パエリア・パン・デザートなど。 産後の体調と母乳育児を考慮してか、塩分は極めて控えめであった(塩分0のメニューもあったくらい)。 一方で出産後は体力勝負であるとばかりにカロリーは高め。

グルノーブルアルプス病院 夕食

グルノーブルアルプス病院の夕食

私たちはお産用の手荷物しか持ってきていなかったので、2−4日の入院に必要な手荷物を持ってくる必要があった。 眠さをこらえつつトラムに乗り、事前に準備しておいた産後入院お泊まりセットを持ってきた。 病院は8時を過ぎるとメイン入口の鍵が閉まってしまうので、裏口の方からインターフォンで人を呼んでフランス語で妻と息子が入院中であることを説明する必要があった。
そんなこんなで無事病室に戻ることができたのは夜の11時くらいであった。 朝3時に起きてから密度の濃い1日を過ごした疲れが出て、すぐさま眠りについてしまった。。。 が、赤ちゃんはそんなことにはおかまいなく初日から元気である。 よく起きてよく泣いた。 あやしていたら寝直してくれるのだが、どうしてもまた起きてしまうのでナースコールを押す。 そうすると服の色でよく見えなかったのだが、実は少し母乳を戻してしまっていたのだ。 服を交換して寝袋タイプの布団を綺麗に拭い、胃の中身が降りていくようにしばらく抱っこしてあげた。 そうすると今度は朝までゆっくりと寝てくれたのだ。 こうして体力勝負の出産0日目が終わりを告げた。。

〜出産1日後ー3日後〜

ドアをノックする音で目をさます。 朝食を運んできてくれたのだ。 時計を見ると8時半。 病院の規則では、配偶者が泊まっている場合は8時半までに起きて片付けておかないといけない。 慌ててベッドを片付けて、朝食を運んでもらう。 朝食は選択制だった。 飲み物はコーヒー・紅茶・ホットチョコレートなど、メインを普通のパンかビスケット(乾パンのようなもの)から選ぶ。 後はヨーグルトか何かかが選べたのだが、ずっとヨーグルトを食べていたのでもう一つが何だったかは忘れてしまった。

入院中の生活は新しいこと・覚えることばかりだが、時間がゆっくりとした感じでもある。 新しい家族との生活を少しずつ学ぶことができた。 時折助産婦や医師が訪ねてきて嫁や赤ちゃんの検診をしたり、赤ちゃんの面倒の見方や授乳の仕方、お風呂のいれ方などを教えてくれる。 またナースコールを押せば助産婦がきてくれるが、すぐやってくることもあれば10分以上もやってこないこともあった。 ここら辺はフランスらしい。。 ちなみに英語を話す人の割合はだいたい半分程度か。 グーグル翻訳を使ってみたり、身振り手振りまじりのフランス語で大体なんとかなるものであったが。 その他の時間は赤ちゃんが泣いていれば、授乳かおむつ交換かあやすか。 赤ちゃんがよく寝てくれていれば、此れ幸いと私たちも仮眠を取る。
私は入院中に何度か買い物をしたり、ちょっとしたものを取りに家に戻ったりもしていた。 朝方の体温測定で赤ちゃんに熱があり、血液検査をしなければならないと言われた時はひやっとしたものだが、検査結果は異常なしであった。
大変だったのは二日目の夜である。 母乳が初乳から成乳に変わるため、赤ちゃんの食欲が凄まじいことになる。 一時間おきには起きて母乳を求めて泣き続ける。 私は起きるだけで良いが、嫁は母乳を毎度与えないといけないためとても大変な夜であった。
3日目からは少し長めに寝てくれるようにはなったが、入院中の夜はほぼ寝ては起きての状態であった。 後は3日目にボスが家族とお見舞いにきてくれた。 グルノーブルアルプス病院では午後2−8時がお見舞いの時間になっており、この時間内の出入りは自由のようだ。

〜出産4日後・退院〜

入院生活もあっという間に退院の日となる。 私は午前中に役所にいって出生関係の書類仕事を済ませ、夕方にボスの奥さんに車で迎えにきてもらった。 全て情報が登録されてるからなのか、保険で全額賄えるからなのかはわからないが、病院での退院手続きはなぜかゼロ。 助産婦に聞いたら、そのまま出て行けば良いということであった。 赤ちゃんが車が大丈夫か少し心配したのだが、短い距離であったので全く問題なくおとなしくしていてくれた。

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フランスで妊娠・出産9 〜出産後分娩室でのあれこれ

さて前回の投稿の通り無事出産を済ませることができた。 その後母子に何かあったときのため、数時間を分娩室で過ごすことになる。

  1. ポジションの変更
      嫁は出産の際椅子の背もたれ側向きのポジションをとっていたので、出産後のプロセスのために嫁を反転する必要があった。 この時嫁は赤ちゃんに完全に集中しきっていたので、呼びかけるものの反転してもらうのは結構大変であった。
  2.  へその緒のカット
      へその緒のカットは立会い人が望めば自分で切ることができる。 最初は母と赤ちゃんをつないでいる真ん中を、2度目は赤ちゃんのおなか側でへその緒の長さを短くするのに。 へその緒は思いの外硬い。 最初のカットではハサミが強いものではなかったので、切断するのに数回にわける必要があった。 2度目の方は少し大きめのハサミに変えたので簡単に綺麗に切ることができた。 もちろん少し血も出るので、苦手な方の場合は助産婦でやってくれる。
  3. 胎盤の除去・裂傷の縫合
      出産の後は胎盤の排出が軽い陣痛とともになされる。 その他全ての出産後不要なものを子宮から出し切る必要があるので、嫁はもう一度しっかりとプッシュする必要があった。 助産婦が念入りに全てが排出されたかの確認をしていた。 また裂傷がある場合は、この後に縫合をすることになる。 ちなみに麻酔はまだ接続中であったので、この間に数回追加した。
  4. 低血圧
      結構な出血量のため、出産後低血圧(高60・低40程度)になった。 気分が悪くなり顔色がだいぶ悪くなっていたので、足を上げて点滴(中身については失念、嫁はただの水分と言っていた)をした。 30分ほど安静にしていたらだいぶ良くなった。
  5. カンガルーケア
      赤ちゃんは体の水分を拭った後すぐに嫁の体の上にお腹合わせで置かれ、上部をタオルで包まれた。 私は知らなかったがカンガルーケアというそうだ。 上記のように嫁が低血圧で治療を始めてからは私の方に移された。 助産婦に突然上の服を脱げと言われた時にはなんのことかと思ったが、素肌でのふれあいが重要らしい。
  6. 初めての授乳
      最初の母乳はほぼ油分で量もあまりない。 しかし、抗生成分などの赤ちゃんのスタートアップに重要な成分を含んでおり重要である。 赤ちゃんは産まれたてで寝たくて仕方がないといった感じであったが、くすぐったりしながら起きてもらい母乳を飲んでもらった。
  7. 最初の身体測定
      生まれたての体重・身長などの測定をすぐに行う。 少し早く出てきたので、体重は3100gであった。 この間は少し泣いていたが、意外なことに生まれてすぐの間はそんなに泣かないものであった。
  8. 病院発行の出産証明書の作製
      フランスでは出生届を5日以内に行う(前情報では3日以内だったが規則が変わったのだろうか)。 そのために病院ではまず出産証明を作る必要がある。 記載内容は名前や体重・身長、出産時間など。 グルノーブルアルプス病院では、その場で記入して病院側でラトロンシュの町役場(Mairie)に送ってくれた。 名前が決まってない場合は別の方法もあるのかもしれないが、名前が先に決まっていれば手続きが楽になるだろう。
  9.  病室への移動
      二時間ほど待って嫁の体調が安定したところで病室への移動の許可が下りた。 嫁はキャスター付きの椅子で、赤ちゃんはキャスター付きのベッドで助産婦とともに病室まで移動した。

長くなってきたので、病室に移ってからのあれこれは別に投稿することにする。

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フランスで妊娠・出産8 〜急にやって来たその日・無痛分娩

ということで、無事グルノーブルアルプス病院にて出産を済ませることができた。。 当日のタイムライン・出来事を思い出しつつ描いてみたい。

******

3:00 am 

嫁が陣痛らしきものを感じ始める。 痛みがないので前駆陣痛かもしれないと思いしばらく待機。

3:30 am

陣痛に痛みが出てきたので、嫁が私のことを起こす。 しばらく嫁の状況説明を聞き、その症状が前駆陣痛か陣痛か話し合う。 この段階では痛みの程度は軽かった。

3:50 am – 6:30 am

陣痛の頻度を測ってみることにする。 最初は6・7分間隔だった周期が、4時半頃には5分間隔になり始める。 これはいよいよ陣痛かもしれないと、病院に運ぶ荷物をまとめ出す。 事前の妊婦講習では陣痛が5分間隔になったら、二時間待ってから病院に行く様に言われていた。 そこでこの間、ベッドでのポジションを変えたり、バースボールに乗ったりして陣痛をやり過ごす。 6時も過ぎたころにおしるしのようなものも確認されたので、大家のおじいさんに病院まで車を出して貰えるかお願いに行く。 事前に陣痛が来たら送ってくれると言ってくれていたのだ。 この時大家さんはまだ寝ていたが、事情を話すと快く送っていただけることになった。 嫁はこれまた事前の講習で教わっていた通りにシャワーを浴びていた。 6時半頃には痛みが本格的に強くなっていた。

6:45 am

車で15分ほどのグルノーブルアルプス病院(CHU Grenoble Alpes)に移動する。 早朝なのでドライブは順調だったが、大家さんが病院の場所を勘違いしていて少し遠回りする。

7:00 am

病院に到着。 早朝なので裏側の緊急入り口から病院に入る。 この頃には歩くのもだいぶ辛い状態であった。 エレベータで2階に移動し、インターフォンを押して陣痛が来ていることを説明し中に入れてもらう。 (私たちの感覚では)のんびりと保険情報の登録などをし、中の診察室に移動した。

7:20 am – 8:20 am

診察室にはすぐ助産婦がやって来て、簡単な問診を行なったのち子宮口のサイズをチェックした。 この時に既に4cmまで開いており、初産でここまで家で待機できてるのは素晴らしい、と助産婦さんに褒められる。 4cmになっていたので、私たちはそのまま分娩室に移動することができた。 病院の規定では3cmまでの場合は、別室で待機だそう。 分娩室に入ると別の助産婦が待機していた。 こちらの助産婦は英語がとても流暢だったので私たちにはとてもありがたかった。 助産婦によると分娩室に入ったら無痛分娩を開始できるとのこと。 ただし麻酔科医を待たなければいけないということで、この待ち時間が嫁にとって最も辛い時間であった。 助産婦は分娩室は自分の部屋だと思って寛いでねと言って、しばらくしたら戻ると他の仕事に去っていった。 部屋は照明や空調が良くコントロールできるようになっており、またオーディオはスマホを繋いで好きな音楽を流せるようになっていた。

8:20 am

無痛分娩の開始。 幸いなことに麻酔科医も助産婦ほどではないが、聞きやすい英語を話した。 英語が通じるであろうということでグルノーブルアルプス病院を選んだが、私たちにとっては本当に良いチョイスであった。 麻酔科医と助産婦の説明を聞くと、最初に局部麻酔を使うとのこと。 その後で下半身麻酔のチューブを入れるという手順であった。 10分ほどの準備の後、実際に麻酔のプロセスに入る。 最初の局部麻酔はかなり痛かったようだが、その後の手順は特に何も問題はなかったようだ。 この後急激に陣痛の際の嫁の表情が改善し、私としてはやや楽に見ていられるようになった。 ちなみにこの時に麻酔追加用のボタンが渡され、痛みを感じた場合は自分で追加することができる。 しかし過剰投与を避ける為、一定時間内で追加できる回数は決まっている。

10:30 am

2度目の子宮口検診。 この時子宮口のサイズはほぼ7cm、助産婦の想定よりも早く進行していた。 この検診中に破水も起こり、後4・5時間くらいで出産までたどり着けるだろうという話になる。 ただし、この時子供の顔がおなか側を向いているとのことであった。 こちらの向きでも出産に問題があるわけではないが、背中向きの方がスムーズに出産ができるとのこと。 子供の向きを変えるための試みをしてみることになる。

10:30 am – 11:20 am 

ひざまづいてバースボールに前向きによりかかる姿勢をとる。 この姿勢は赤ちゃんが動きやすく、向きが変わる可能性が高いそうだ。 下半身麻酔の影響か足に力が入らず、若干鬱血気味になってしまったのが難点といえば難点だが、無事赤ちゃんの向きを変えることに成功した。

11:20 am – 0:30 pm 

赤ちゃんの向きが無事変わったので、今度は赤ちゃんが子宮口に向かっておりて来るのを助けるポジションに変えることになった。 具体的には体の左側を下にして横になり、少し高めの台座に右足を曲げて乗せ、左足は伸ばした形である。 この体勢は赤ちゃんのポジションを下げるのにとても効果的であった。 しかし、陣痛をより強く感じる体勢でもあったため、嫁は何度か追加で麻酔を使う必要があった。

12:30 pm

3度目の検診。 いよいよ子宮口が10cmまで開く。 ここから二時間以上待ってから、出産のための最後のプッシュ(いきみ)を始めるというのがこの病院のやり方であった。 なのでこの待ち時間は、プッシュの練習をしつつその時を待つということになる。

13:00 pm

まずは最もクラシカルな体勢、仰向けになり両足を抱えた状態でのプッシュを試すことになった。 また、息を止めてプッシュする呼吸法と、息を少しずつ吐き出しながらプッシュする呼吸方を試した。 嫁の場合は、息を吐き出しながらの方が相性が良かった。 なかなか上手にできていると助産婦に褒められる。 しかしここで問題が一つ。 この体勢は嫁にとって楽で陣痛が感じにくい体勢であった。 前回の陣痛の強かったポジションで麻酔を追加したため、この体勢では陣痛を全く感じることができなかったのだ。 そのことに不安を感じた嫁は、助産婦と話し合った上で別の体勢も試してみることにした。

13:50 pm

さてそのポジションであるが、ひざまづいて椅子の背もたれの方を向いてよりかかりお尻を両足首の間に配置するようなポジションであった。 この体勢の利点は赤ちゃんが降りて来るのに、重力が利用できること。 また、痛いというほどでもないが、陣痛の兆候をしっかりと感じることができたことにあった。 嫁はだいぶどのポジションを使うかを悩んでいた。 助産婦からの助言では、どの体勢でも出産はしっかりできるはず、そしてポジションを変えたかったら途中で変えても良いとのことであった。 短い話し合いの結果、後から試したポジションで最初のトライをしようという結論になったのだ。。

14:30 pm

いよいよ、プッシュの開始である。 陣痛のタイミングに合わせて、息を大きく吸い込み、思い切り細く吐き出しながら赤ちゃんを押し出す。 1回の陣痛につき3回のプッシュ。 最初の方はどの程度赤ちゃんが押し出されているかが見た目にはわかりにくく、見ている私としては若干不安にもなった。 しかし助産婦はしっかりと見ており、赤ちゃんが少しずつ押し出されていると嫁を励ましていた。 私は力になっているのかもわからないが、呼吸法を一緒になって行っていた。 数回のトライの末に赤ちゃんの頭がはっきりと視認できるようになってきたので、少しづつだが着実に進行しているのがわかった。 嫁はかなり消耗していたが、後もう少しであることがわかると少し気力を取り戻していた。

14:58 pm

30分ほどが経過して5・6回目の陣痛の波だっただろうか・・・ほぼ出かかっているという助産婦の言葉に、覗き込んでみると赤ちゃんの頭がしっかりと見える。 その陣痛の波は終わりかけていたが、最後のもうひと押しと嫁は全力でプッシュした。。。 するとズポっと赤ちゃんの頭が現れたのだ。 その後は陣痛中ではなかったかもしれないが、もうひと押しして赤ちゃんの体を押し出した。 赤ちゃんは水を少し吐き出して、少ししてからオギャーと泣き声をあげたのだ。 生命の誕生の瞬間はとても感動的であり少し泣けた。

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今回私たちはフランスで出産をすることになったので、フランスでは多数派である無痛分娩を行うことになった。 私は今回無痛分娩に立ち会ったのだが、分娩室での多くの時間で嫁と普通に会話をしていた。 嫁が陣痛の間の体力の消耗を抑えることができたことも良かったし、精神的な余裕は麻酔なしの出産に比べてかなりあったと思う。 立会いをするのにも嫁が普段と変わらない状態であるため、心身面でのサポートもしやすかった。 日本では無痛分娩の割合はとても少ないようである。 出産前に多くの出産体験を読んだが、その多くが出産中の時間を辛い痛みに耐えつつ過ごしていた。 フランスでも麻酔なしの出産を選ぶカップルもそれなりにいるようであるし、それは各カップルの自由であろう。 しかし私たちは今回無痛分娩を選んで良かったと思っている。 少なくとも選択肢の中に無痛分娩があるということは、素晴らしいことであろう。

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