アメリカの田舎でアパート探し

思い出した時に書いておこうシリーズ。 フィンランドのアパートも決まったことだしアメリカのときのことを思い出して書いてみる。

それはアメリカの某国立研究所でポスドクをすることが決まり、アメリカ移住を待っていたときだった。 アメリカに移住するとなるとアパートを決めなければいけない。 職場のHRがいろいろと不動産のチラシを送ってくれていたのだが、これは正直あまり良いものが載っていなかった。 その後アメリカ時代のボスが職場の若手ポスドクを紹介してくれたので、彼らのおすすめのアパートを訪ねて見ることにしたのだった。 やはり直接住んでいる人に聞くのが一番だ。

アメリカの国立研究所は転勤の費用はポスドクでも5000ドルまでは出してくれる。 なのでアパートを実際に探すのはアメリカについてからで大丈夫であった。 結構良いホテルに泊まっていたが、田舎なので10日でせいぜい1000ドルといったところ。 30日までは泊まってていいというのだから太っ腹な研究所だ。
若手ポスドクたちがオススメしてくれたアパートは二つあった。 しかし一つのアパートは近年中に殺人事件が起こっているということが発覚したので、リストから消去した。 必然残りの一つのアパートをまず訪ねて見たのだった。 この地方(結構な田舎)の普通のアパートメントコンプレックスの価格帯は2ベッドルームで600−1000ドルといったところ。 私の訪ねたところは650ドルだったのでまあ安めの方。
とりあえずアパートに電話をかけてみる。 アメリカに来たばかりで電話でのリスニングはつらいものがあったが、営業時間にリーシングオフィスに来てねと言ってるのくらいはわかった。 リーシングオフィスはぷらっと尋ねていっても対応してくるところもあるが、電話で確認しておかないとかなり待たされることもある。
当日はレンタルしていたピックアップトラックに乗り込みアパートを訪ねた。 管理室の脇には、広い駐車場に結構綺麗なプールが見える。 なかなか良い感じだ。 平日の昼間だったから誰もいなかったが。 リーシングオフィスに入ると、優しそうなおばちゃんがアパートについて簡単に説明してくれた。 部屋を見たいとのことをつげると空き部屋まで案内してくれた。 部屋はやや古いものの、それなりに綺麗な絨毯引きのリビングルーム、ベッドルームとウオークインクローゼット。 ちょっと古いが清潔と言って良いレベルのバスルーム。 また広いキッチンがあった。 シャワーの水圧をチェックしたところ水の勢いは十分以上。 2ベッドルームに650ドルという値段を考えたら、即決で良いかなというレベルであった。

そこでリーシングオフィスに戻った私は契約したいという旨を伝えた。 すると今見た空き部屋のクリーニングが終わるのが、数日後とのことであった。 そこでその日から入居するということで、管理人と契約書を交わしたのだった。 契約は10枚ぐらいの契約書類にイニシャルでサインをしていくだけ。 一枚だけフルの署名を求められたかな。 書いてあるのは部屋を汚したらどうのこうのや、出て行くときにどの程度前に知らせる必要があるかなどの事項。 もちろん一通り読むべきだろうが、そんなに大したことは書いていない。
その後クリーニングの都合予定していた部屋じゃなくて別の部屋になってしまうが良いか?というメールが来た。 日当たりなどを考えると新しい部屋の方がむしろ良かったので快諾。 数日後には無事新しい部屋に入居することができたのだった。

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フランスでのコインランドリーの使い方

海外アパート暮らしだと結構お世話になるのがコインランドリーだ。 この投稿では、フランスでのコインランドリーの使い方について簡単に書きたい。
フランスは結構コインランドリーが多い印象。 ルームシェア的に部屋を借りたりすると、洗濯機がなかったりするのだ。 アメリカの場合もコインランドリー自体は多いのだが、アパートコンプレックスの中についているから外からは見えなかったりする。

フランスのコインランドリー

フランスのコインランドリーの洗濯機

さてフランスのコインランドリーでは、何種類かサイズ別の洗濯機が置いてある。 うちの近くのコインランドリーでは、小さいのが6キロまで入れられて3.5ユーロ、中が13キロで7ユーロ、大が18キロで10ユーロだ。 結構お高いのである。
まずは空いている洗濯機を見つけて、洗濯物を全て突っ込む。 全部詰めたら蓋を閉める。 結構蓋が硬い場合もあるので思い切って閉めよう。 続いて上部のスライドドアを開けて、洗剤を投入。 このコインランドリーの場合、洗剤は三箇所に分かれている。 前洗い、本洗い、仕上げ用の追加である。 普通の洗濯をするだけだったら、本洗い用の真ん中の箱に洗剤を投入すれば良い。 洗濯機についている選択ボタンを押して、洗濯の水温が選べる。

コインランドリーの支払い

コインランドリー支払い用のマシン

さていよいよ洗濯の開始である。 自動販売機のところにいき、自分の洗濯機の番号を押す(1枚目の写真の場合だと1番)。 そうしたらお金を入れれば良い。 ここのお店の場合だと10ユーロセント以上のコインか、10ユーロ20ユーロ紙幣が使えた。 使ったことはないがカードも使えるようだ。 お金を入れたら自動で洗濯が始まる。 選択にかかる時間は、約40分程度。 家に一度戻るか、近くにスーパーでもあるなら買い物に行くと良い。 私のよく行く店には時間つぶし用のエンターテイメントは置いてない。

コインランドリーの乾燥機

コインランドリーの乾燥機

洗濯がおわったら乾燥機に洗濯物を移す。 こちらは割とリーズナブルな値段で、小が1.5ユーロ、大が2ユーロ。 また時間は小が12分で大は16分である。 やはり乾燥機についているボタンで温度が選べる。 洗濯機と一緒で蓋を閉めたら自動販売機のところに行って、乾燥機の番号のボタンを押してからお金を入れる。 この場合は10番の乾燥機である。

終わったら洗濯物をたたむようの台があるので、そこで洗濯物をしまったらおしまい。 一般家庭は家に洗濯機があるので、そんなには混んでいない。 しかし大体一人二人お客さんがいるものだ。

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜グルノーブルのホテル

今はグルノーブルに住んでいるので厳密には海外旅行記ではないのだが、ホテル・レストランなどの情報はこのカテゴリーの方が便利かなと思う。グルノーブルは研究旅行で実験などによく来ていたので、この投稿ではホテル情報をいくつか書いておきたい。

ちなみに価格については時期によって全く違うので参考までに。

グルノーブルの二つ星ホテル

二つ星ホテルはエアコンが付いていないことが多いので、夏場のすごく暑い日は扇風機だけだとちょっと寝苦しい。でも安いし部屋は綺麗だし、基本的には全く問題ない。

Hôtel Gloria à Grenoble

12 Rue Aristide Berges, 38000 Grenoble

グルノーブルの二つ星ホテル。
施設はまあ二つ星らしい感じで結構古めかしい感じだが、駅から近く立地は良い。一泊シングルルーム50ユーロといったところ。普通のベッドにそれなりに清潔なシャワーとトイレがついている。
朝食のクロワッサンとパンは結構美味しい。なぜだか私たちのグループは伝統的にここを使う傾向があった。

Hôtel des Alpes 

45 Avenue Félix Viallet, 38000 Grenoble

同じくグルノーブルの二つ星ホテル。何かの間違いで、グロリアが満室予約だったときに使った。70ユーロ前後。部屋はグロリアより広かったかな。朝食は記憶にないので外で食べたのだろう。

hôtel lux

6 Rue Crepu, 38000 Grenoble

同じく二つ星ホテル。やはりグロリアが空いてなくて一泊だけ取ったのだと思う。しかし部屋の内装も何も覚えていない。まあ覚えていないということは悪かったわけではないのだろう。何の情報にもならないな。。

Hôtel Institut

10 Rue Barbillon, 38000 Grenoble

1階のお部屋だったのだけど、迷路みたいな廊下になっていて階段からだと辿り着くのが大変だった。
部屋はダブルルームで60ユーロほど。ダブルベッドに加えてなぜだかシングルベッドも付いている部屋だった。部屋は清潔に掃除されていたし割と広かった。全部屋ではないかもしれないけど、私が泊まった部屋はシャワールームではなく、バスタブがついていた。暑い夏の日だったので使わなかったけど。
暑い夏の日といえば、この夜はエアコンなしではちょっと寝苦しい夜だった。扇風機全開で回してたらそれなりに涼しくはなったけれど。
朝食グーグルでは評判が良さそうだったけど、試す機会がなかった残念。

グルノーブルの三つ星ホテル

三つ星ホテルは設備が結構整うわりには、それほど値段が上がらないところもある。特にだいたいエアコンが付いているので、真夏は3つ星にしておいた方が寝やすいかもしれないね。

Hôtel ibis

27 Quai Claude Bernard, 38000 Grenoble

駅近くに二箇所ある三つ星ホテル。アメリカでポスドクをしていた時に利用。川沿いの方を利用した。部屋はコンパクトだが、清潔なバスルームがついていた。
朝食は結構セレクションがあって良かった記憶あり。クロワッサンはグロリアの方がおいしかったかな。
このとき一泊60ユーロ前後だったので、ここら辺の価格帯だとここが一番良かったかな。
グルノーブル市内にはたくさんあるようだけど、どこも全般に評判が良いようだ。ただし場所と時期によっては値段が上がる。

Residhotel Grenette

12 Rue de Palanka, 38000 Grenoble

こちらは同じ3つ星ホテルでもアパートホテルタイプ。私の泊まった部屋はシングルベッドが二つの部屋で、価格は70ユーロほどだった。全般に好印象。特に価格帯を考えても、長期滞在にオススメできる。
アパートホテルだけあって部屋は広々としていてキッチン付き。簡単な料理は可能。私の部屋はシャワールームだったけど、バス付きの部屋もあるって書いてあった。そしてヨーロッパのホテルにしては珍しくバストイレがセパレートだった。問題点としてはドライヤーが付いていなかったことくらい。髪短かったから問題なかったけど。
朝食は9€でつけられるけど、そこそこといったところ。クロワッサン、パンオショコラをはじめとして一通りパンが揃っている。ハムはあったけれどホットフードはなかった。甘味類は結構充実してたかな。
キッチンが付いていることを考えれば、自分で作っても良いという印象。

グルノーブルの四つ星ホテル

4つ星になるとだいぶ良い部屋になるけれど、価格帯も100€を超えて来る。

Le Grand Hôtel 

もうちょっとグルノーブルのセンターより。 トラムb線maison du tourismeのすぐそばの四つ星ホテル。私の両親が訪ねて来た時に、彼らが利用。 hotels.comで予約したところバス付きの部屋となっていたのだが、部屋に入ってみるとバスなし。フロントに確認すると、hotels.comからとるとバス付きの部屋にはならないとのこと。hotels.comのミスかなと思いつつも、一応設備は保証しないという但し書きがついていたので、まあしょうがないのかもしれない。
バス付きの部屋が空いてるか聞いたところ、ジュニアスイートが空いているとのこと。フロントのお姉さんがほんとはこの部屋50ユーロくらい高いんだけど一泊25ユーロプラスでいいわよ。とおっしゃっていたのでアップグレードした。 覗きにいってみたところ、部屋は広いしバス・トイレも清潔で大きい。 値段は結局1日130ユーロくらいだったのかな。

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フィンランドでの家探し

フィンランドに少なくとも1年移住することが決まり、そのためには色々と下準備が必要だ。 特にフィンランドに実際に移る前に決めておきたいのが住居である。 部屋が見つからずしばらくホテルを使うなんてことになると、高いアパートに入るよりも高くついてしまうからだ。

各国でのアパート探し事情

家の探し方は各国色々と特徴があって面白い。 アメリカで私が暮らしていたあたりの田舎では、大規模なアパートメントコンプレックスが多くあり、コンプレックスの一角に賃貸を管理しているオフィスがあった。 そこを直接訪ねて行けば部屋を見せてもらえる。 気に入ったならばその場で契約することができるという形であった。 一方嫁は一軒家の大家が部屋を貸しているところを探すのが好きで、それ用のウェブサイトを通じて部屋を探していた。 フランスに来る時は、誰かしら友達の友達あたりが部屋の貸し先を探していたので、そこにうまいこと滑り込むことができた。 フランスは普通の不動産屋もあるが、ルームシェア的に部屋を貸している人が多い印象。

フィンランドでのアパート探し

さて、フィンランドの家探しを始める際には、フィンランドでの不動産の知識も情報もなかった。 そこでまずは大学のHRに尋ねて見ることにした。 彼女の言うところによると、大学で宿舎的なのはあるが最大6ヶ月までしか入れないとのこと。 さらにこの宿舎的なのは一番安い部屋で一月1000€近く、設備は良いようだが決して安くはない。 他を探すなら大学のホームページが参考になるとのことであったので、とりあえず見てみることにした。

まずホームページで目についたのは、大学職員向けに斡旋しているアパートがあるらしい。 早速担当にメールを送って見る。 すると、学内イントラネットにそのアパートの情報は出ており、イントラネットにアクセスするパスワードを持っていないと利用できないそうだ。 つまり、学内で働いていてそろそろ別のところに引っ越したいと思う人用なのだろう。 あっさりと諦めて、民間のアパートを探す方向へシフトチェンジした。

民間のアパートを探す方法は日本と似ているのではないだろうか。 いくつか大手のウェブサイト系の不動産があり、現地で不動産会社を回ることもできる。 今回は現地に行っている余裕はないので、ウエブ系のものを使うことにした。 最初はホームページを英語にすることができる、Vuokraoviというウェブサイトを使っていたのだが、あまり良い物件が見当たらない。

そこで新しいボスに何か良いのがないか聞いて見ると、oikotieというウェブサイトが良いということだ。 ホームページは全てフィンランド語で書かれているのだが、そんなものはグーグル翻訳に突っ込めば問題ない。 そうするとoikotieでは業者を通していない物件なのか、割とリーズナブルな値段で条件の良いアパートがいくつか出てきたのだ。 いくつか目についた良いアパートに、興味があることを伝えるメールを英語で出して見た。

〜アパート1

家具付き950ユーロ程度。 職場から近くだいたい何でも近場にあり優良物件。 問い合わせのメールを出すも返信なし。

〜アパート2

家具なし850ユーロ。 水道代込み。 職場からはギリ自転車範囲。 メールのやり取りの末、とりあえず下見に行く約束を取り付けることができた。 しかし私たちはフランスにいるので下見に行くことができない。 そこで新しい職場のボスが代行をオファーしてくれた。 しかし下見の約束三日前に別の人が入居を決定してしまったとの連絡。。

〜アパート3

アパート2と条件は同じくらい。 しかし返信なし。

といった感じで苦戦続きであったのだ。 そんなときに、ボスから一通のEメール。 内容は、うちのポスドクがもうすぐフィンランドから出るから、その空いた後に入らないか?とのこと。 ちょっと探していた条件よりも遠く自転車での通勤は無理そう。 しかし、家具付き、電気・水道込みで850ユーロという条件は悪くないので、とりあえずもうすぐ出ることになっているポスドクにコンタクトをとり情報をもらう。 すると部屋・大家はとても良い感じで、部屋へのベビーカーでのアクセスも良い。 アパートの周りも良い感じにいろいろ揃っているよ・・とのことであった。 さらに彼女からの情報では、このアパートはすでにoikotieに広告が載っているという。 条件は結構良いので、埋まってしまうとまずいと、慌てて大家にコンタクトを取ることにした。

数回のメールのやり取りをした感じではとても良い感じの大家であった。 何よりも前ポスドクからの紹介であり信用がある。 私たちはここに引っ越すことに心を決め、契約手続きに入ることにしたのだった。 契約の締結に必要なのは、IDのコピーの交換と契約書にサインをすること。 意外と単純だが、問題は私たちが国外にいること。 私のボスに委任状を書いてサインをしてもらうことにし、またIDはスキャンをして大家に送った。

契約当日は電話くらいくるかなと一応待機はしていたのだが、何も問題なく契約書へのサインができたようである。 大家からは契約書締結ができ、鍵と契約書を私のボスに渡しておいたというメールが、私のボスからは同様の内容と大家と部屋がとても良い感じであったとのメールがきた。 というわけでこうして無事フィンランドでの住居を移住前に決めることができたのだった。 参考までに下記は私が使った委任状(authorization letter)である。

From: 私の名前
Address: 私の住所
To: 大家の名前
Address: 大家の住所
Date: 適当な日付
Subject: Authorization letter to sign the apartment contract
I, 私の名前, hereby authorize my supervisor in 職場, 私のボス, to sign the apartment contract, アパートの名前か住所, on my behalf. Feel free to contact me on 電話番号 for any further clarification.

Sincerely yours.
署名

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国際結婚の手続き 〜中国で結婚・日本に婚姻関係の移動

最近では国際結婚は珍しいものではないだろう。 私は、アメリカポスドク時代に同僚だった中国人の嫁と結婚した。 幸い中国はお隣、結婚手続きは比較的近場でできる。 とはいえ、やはり日本人同士が日本で結婚するよりは、少し手間がかかったのかな。

最初の婚姻手続き

私が嫁と結婚したのは、アメリカでのポスドクが終わりフランスへの移動を待つ間であった。 なので私は日本に、彼女は中国にいた。 必然結婚の書類手続きは日本か中国でする必要があった。 さて問題は日本でするか、中国でするかである。 結論から言うと、私たちは中国で結婚してから書類を日本に移すことにした。 理由は単純。 私はビザ無しで中国に入国できるが、嫁はビザが必要であったからだ。 結婚自体の手続きはほぼ一緒で、むしろ日本での方が楽かなとすら思っていたが。

独身証明書の取得

さて中国で国際結婚するのに必要なのは独身だと証明すること。 そのための独身証明書は日本でも取れるが、外務省の認定を受けた上で法廷翻訳を作る必要がある。 これには結構な手間と金額がかかる 東京に行く必要があるし、翻訳は高い。 それよりは中国に行って在中国日本領事館で、独身証明書を作ってもらった方が良い。 もちろん近場にないなら、話は別だが。 私は上海領事館に行って、証明書を取得した。
必要書類は、最近の戸籍謄本、パスポート、後70元。  ちなみに現地で確認されたりはしなかったが、独身証明の発行には嫁と一緒に行く必要があるらしい。 嫁の方でも戸籍と身分証明を準備するようにと指定されていたが、使ったかどうかは記憶にない。 連休明けの月曜に尋ねたので混雑を予想していたが、幸いそれほど待つことはなかった。 書類の提出に30分くらい。 受け取りに15分くらいだったかな。 もちろん会話は全て日本語で。 どうでも良いが、領事館フロアのすぐ外のトイレはウォッシュレット付きの良いトイレ。

中国の役所での結婚手続き

さて無事独身証明書を手に入れたら、実は後必要なのはパスポートと嫁の戸籍だけだったのだ。 あ、後二人で撮った写真か。
私たちは杭州役所の結婚登記所を訪れた。 役所には大量の人がいてどれだけ待つことかと思ったが、結婚手続きの場所に行くとそうでもなかった。 国際結婚の場所はさらに別だったようで、別室に案内された。 そこには1組だけ手続き中のカップルがいたがそれだけ。 英語で喋ってたのでわかったのだが、どうやら結婚ではなく離婚手続き中。 まあなごやかだったけど。
10分ほど待つと私たちの番になった。 やることは個人情報を確認しつつ一枚書類にサインをするだけだったかな。 ちなみに登記官とは嫁が中国語でやりとりしてたけど、英語もとても綺麗な発音だった。
登録が終わると、結婚証明になる赤い手帳を発行してくれる。 これを受け取って無事結婚手続きが完了ということになる。 ちなみに中国で結婚するのには中国の病院での身体検査が必須との情報もあったが、ルールが変わったようで今は必須ではなかった。

婚姻関係の日本への連絡手続き

日本での結婚の届け出をするには、受け取った赤い手帳と日本の婚姻届を市役所に持参する。 手帳は中国語なので日本語訳を作っておく必要があるが自分で作っても良い。
婚姻届は普通に入力していき、嫁には中国にいった際に記入してもらっておいた。 婚姻届の提出には嫁が同行する必要はないのだ。 独身証明の取得には嫁を連れて行く必要があったが、婚姻届には必要ないというのは少し面白い感じがしたものだ。
こうして無事日本でも結婚手続きが終わると、日本の戸籍に嫁の名前が入る。 中国で先に結婚したため、婚姻は中国方式という但し書きが入る。 ちなみに結婚したからといって嫁の日本入国が簡単になったりはしない、ビザが必要だ。 私が日本に就職したらまた別なのかな。

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フランスで妊娠・出産11 〜出産後の手続き

出生届の提出と出生証明の取得

フランスで子供ができた場合、出生届を5日以内に出す必要がある。 この届を出さないと、フランスはおろか日本の出生登録まで滞るという非常に重要な届だ。 前情報では3日以内ということであったので、期日的には多少改善されたのかもしれない。 しかし5日以内と書いてある割に、何曜日までに登録しなさいという方の記載が若干不思議な感じなので注意が必要だ。

月曜日ー月曜日

火曜日ー月曜日

水曜日ー月曜日

木曜日ー火曜日

金曜日ー水曜日

土曜日ー木曜日

日曜日ー金曜日

さてグルノーブルアルプス病院の場合、出産証明は病院の方で作製し町役場の方に送ってくれる。 出産証明の作製には名前が必要なので、できれば先に名前を決めておいた方が良いだろう。 名前さえ決まっていれば出産後に即作ってくれる。 さて町役場(Mairie)に行くのに私が持参する必要があった書類は、嫁と私の滞在許可証とパスポート、戸籍の法定翻訳である。 記載事項に間違いがないかの確認を細かく行うため、フランス語に自信のない方は色々準備しておいた方が良いだろう。

ラトロンシュ役場

ラトロンシュ役場にて出生届

ラトロンシュ(La tronche)の役場はとても小さな役場だ。 入口を通り抜けると、受付は一人だけ。 出生届について書いてあるパンフレットを見せると、中に入るように言われる。 中に入ると、また受付の人がおり出生届は入口左側のコーナーだと言われる。
6席ほどの椅子に2人ほど待っている人がいたので、軽く挨拶をすると「出生届を出しに来たのか?」と聞かれる。 そうだと答えると、ここで待ってれば良いと教えてくれる。 特にチケットを取ったりはしないので、来た順番を自分たちで覚えておかないといけない。 次の人〜という感じで呼ばれるので、順番になったら中に入れば良い。
一人当たりの所用時間は30分から一時間といったところ。 両親の名前・生まれた場所・職業や子供の名前・生まれた場所・時間、住所などの個人情報を念入りに確認して、出生登録と出生証明書の発行を行う。 こちらも前情報とは少し異なっており、フランス語のフルコピー(copie intégrale acte de naissance)は何も言わずとも8部を作ってくれた。 多国籍言語での説明書きがついたコピー(extrait de l’acte de naissance)は何部欲しいか聞かれたため、5部欲しいといったらくれた。 後者が何個までもらえるのかは未確認。 ちなみにその日働いていた二人の職員は英語を話すことができた。

出生証明の提出先

証明書の有効期限は3ヶ月。 そのため出生後必要な手続きは3ヶ月以内に行うこととなっている場合が多い。 後々必要になった場合は、ラトロンシュ役場まで取りに来てくださいね。。と言われたが、海外にいる場合は郵送してもらえるのだろうか。 聞きそびれた。

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フランスで妊娠・出産10 〜数日の病院生活

〜出産0日目〜

無事出産を終えて病室に移動したのは夕方7時くらいだっただろうか。 ちょうど空いていたので幸いなことに個室を取ることができた。 混んでいる場合だと二人部屋になることもあるそうだが、新生児の面倒を見つつふたり部屋というのは結構大変なのではなかろうか。 個室にはシャワーとトイレがついており、後は病院のベッドが一台と小さなテーブル、棚などがあった。
病室に移った私たちは、何はともあれと夕食をいただくことにした。 朝3時からほぼ何も食べていなかったのでとてもお腹が減っていたのだ。 公立病院の出産後の入院では、三食が基本セットとしてついてくる。 ちなみに配偶者は1日10€で部屋に滞在することができ、朝食がついている。 夕食はメニューとしては普通のフランスの食堂といった感じで、ポタージュ系のスープ・キッシュ・野菜の炒めもの・肉の煮物・パエリア・パン・デザートなど。 産後の体調と母乳育児を考慮してか、塩分は極めて控えめであった(塩分0のメニューもあったくらい)。 一方で出産後は体力勝負であるとばかりにカロリーは高め。

グルノーブルアルプス病院 夕食

グルノーブルアルプス病院の夕食

私たちはお産用の手荷物しか持ってきていなかったので、2−4日の入院に必要な手荷物を持ってくる必要があった。 眠さをこらえつつトラムに乗り、事前に準備しておいた産後入院お泊まりセットを持ってきた。 病院は8時を過ぎるとメイン入口の鍵が閉まってしまうので、裏口の方からインターフォンで人を呼んでフランス語で妻と息子が入院中であることを説明する必要があった。
そんなこんなで無事病室に戻ることができたのは夜の11時くらいであった。 朝3時に起きてから密度の濃い1日を過ごした疲れが出て、すぐさま眠りについてしまった。。。 が、赤ちゃんはそんなことにはおかまいなく初日から元気である。 よく起きてよく泣いた。 あやしていたら寝直してくれるのだが、どうしてもまた起きてしまうのでナースコールを押す。 そうすると服の色でよく見えなかったのだが、実は少し母乳を戻してしまっていたのだ。 服を交換して寝袋タイプの布団を綺麗に拭い、胃の中身が降りていくようにしばらく抱っこしてあげた。 そうすると今度は朝までゆっくりと寝てくれたのだ。 こうして体力勝負の出産0日目が終わりを告げた。。

〜出産1日後ー3日後〜

ドアをノックする音で目をさます。 朝食を運んできてくれたのだ。 時計を見ると8時半。 病院の規則では、配偶者が泊まっている場合は8時半までに起きて片付けておかないといけない。 慌ててベッドを片付けて、朝食を運んでもらう。 朝食は選択制だった。 飲み物はコーヒー・紅茶・ホットチョコレートなど、メインを普通のパンかビスケット(乾パンのようなもの)から選ぶ。 後はヨーグルトか何かかが選べたのだが、ずっとヨーグルトを食べていたのでもう一つが何だったかは忘れてしまった。

入院中の生活は新しいこと・覚えることばかりだが、時間がゆっくりとした感じでもある。 新しい家族との生活を少しずつ学ぶことができた。 時折助産婦や医師が訪ねてきて嫁や赤ちゃんの検診をしたり、赤ちゃんの面倒の見方や授乳の仕方、お風呂のいれ方などを教えてくれる。 またナースコールを押せば助産婦がきてくれるが、すぐやってくることもあれば10分以上もやってこないこともあった。 ここら辺はフランスらしい。。 ちなみに英語を話す人の割合はだいたい半分程度か。 グーグル翻訳を使ってみたり、身振り手振りまじりのフランス語で大体なんとかなるものであったが。 その他の時間は赤ちゃんが泣いていれば、授乳かおむつ交換かあやすか。 赤ちゃんがよく寝てくれていれば、此れ幸いと私たちも仮眠を取る。
私は入院中に何度か買い物をしたり、ちょっとしたものを取りに家に戻ったりもしていた。 朝方の体温測定で赤ちゃんに熱があり、血液検査をしなければならないと言われた時はひやっとしたものだが、検査結果は異常なしであった。
大変だったのは二日目の夜である。 母乳が初乳から成乳に変わるため、赤ちゃんの食欲が凄まじいことになる。 一時間おきには起きて母乳を求めて泣き続ける。 私は起きるだけで良いが、嫁は母乳を毎度与えないといけないためとても大変な夜であった。
3日目からは少し長めに寝てくれるようにはなったが、入院中の夜はほぼ寝ては起きての状態であった。 後は3日目にボスが家族とお見舞いにきてくれた。 グルノーブルアルプス病院では午後2−8時がお見舞いの時間になっており、この時間内の出入りは自由のようだ。

〜出産4日後・退院〜

入院生活もあっという間に退院の日となる。 私は午前中に役所にいって出生関係の書類仕事を済ませ、夕方にボスの奥さんに車で迎えにきてもらった。 全て情報が登録されてるからなのか、保険で全額賄えるからなのかはわからないが、病院での退院手続きはなぜかゼロ。 助産婦に聞いたら、そのまま出て行けば良いということであった。 赤ちゃんが車が大丈夫か少し心配したのだが、短い距離であったので全く問題なくおとなしくしていてくれた。

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フランスで妊娠・出産9 〜出産後分娩室でのあれこれ

さて前回の投稿の通り無事出産を済ませることができた。 その後母子に何かあったときのため、数時間を分娩室で過ごすことになる。

  1. ポジションの変更
      嫁は出産の際椅子の背もたれ側向きのポジションをとっていたので、出産後のプロセスのために嫁を反転する必要があった。 この時嫁は赤ちゃんに完全に集中しきっていたので、呼びかけるものの反転してもらうのは結構大変であった。
  2.  へその緒のカット
      へその緒のカットは立会い人が望めば自分で切ることができる。 最初は母と赤ちゃんをつないでいる真ん中を、2度目は赤ちゃんのおなか側でへその緒の長さを短くするのに。 へその緒は思いの外硬い。 最初のカットではハサミが強いものではなかったので、切断するのに数回にわける必要があった。 2度目の方は少し大きめのハサミに変えたので簡単に綺麗に切ることができた。 もちろん少し血も出るので、苦手な方の場合は助産婦でやってくれる。
  3. 胎盤の除去・裂傷の縫合
      出産の後は胎盤の排出が軽い陣痛とともになされる。 その他全ての出産後不要なものを子宮から出し切る必要があるので、嫁はもう一度しっかりとプッシュする必要があった。 助産婦が念入りに全てが排出されたかの確認をしていた。 また裂傷がある場合は、この後に縫合をすることになる。 ちなみに麻酔はまだ接続中であったので、この間に数回追加した。
  4. 低血圧
      結構な出血量のため、出産後低血圧(高60・低40程度)になった。 気分が悪くなり顔色がだいぶ悪くなっていたので、足を上げて点滴(中身については失念、嫁はただの水分と言っていた)をした。 30分ほど安静にしていたらだいぶ良くなった。
  5. カンガルーケア
      赤ちゃんは体の水分を拭った後すぐに嫁の体の上にお腹合わせで置かれ、上部をタオルで包まれた。 私は知らなかったがカンガルーケアというそうだ。 上記のように嫁が低血圧で治療を始めてからは私の方に移された。 助産婦に突然上の服を脱げと言われた時にはなんのことかと思ったが、素肌でのふれあいが重要らしい。
  6. 初めての授乳
      最初の母乳はほぼ油分で量もあまりない。 しかし、抗生成分などの赤ちゃんのスタートアップに重要な成分を含んでおり重要である。 赤ちゃんは産まれたてで寝たくて仕方がないといった感じであったが、くすぐったりしながら起きてもらい母乳を飲んでもらった。
  7. 最初の身体測定
      生まれたての体重・身長などの測定をすぐに行う。 少し早く出てきたので、体重は3100gであった。 この間は少し泣いていたが、意外なことに生まれてすぐの間はそんなに泣かないものであった。
  8. 病院発行の出産証明書の作製
      フランスでは出生届を5日以内に行う(前情報では3日以内だったが規則が変わったのだろうか)。 そのために病院ではまず出産証明を作る必要がある。 記載内容は名前や体重・身長、出産時間など。 グルノーブルアルプス病院では、その場で記入して病院側でラトロンシュの町役場(Mairie)に送ってくれた。 名前が決まってない場合は別の方法もあるのかもしれないが、名前が先に決まっていれば手続きが楽になるだろう。
  9.  病室への移動
      二時間ほど待って嫁の体調が安定したところで病室への移動の許可が下りた。 嫁はキャスター付きの椅子で、赤ちゃんはキャスター付きのベッドで助産婦とともに病室まで移動した。

長くなってきたので、病室に移ってからのあれこれは別に投稿することにする。

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フランスで妊娠・出産8 〜急にやって来たその日・無痛分娩

ということで、無事グルノーブルアルプス病院にて出産を済ませることができた。。 当日のタイムライン・出来事を思い出しつつ描いてみたい。

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3:00 am 

嫁が陣痛らしきものを感じ始める。 痛みがないので前駆陣痛かもしれないと思いしばらく待機。

3:30 am

陣痛に痛みが出てきたので、嫁が私のことを起こす。 しばらく嫁の状況説明を聞き、その症状が前駆陣痛か陣痛か話し合う。 この段階では痛みの程度は軽かった。

3:50 am – 6:30 am

陣痛の頻度を測ってみることにする。 最初は6・7分間隔だった周期が、4時半頃には5分間隔になり始める。 これはいよいよ陣痛かもしれないと、病院に運ぶ荷物をまとめ出す。 事前の妊婦講習では陣痛が5分間隔になったら、二時間待ってから病院に行く様に言われていた。 そこでこの間、ベッドでのポジションを変えたり、バースボールに乗ったりして陣痛をやり過ごす。 6時も過ぎたころにおしるしのようなものも確認されたので、大家のおじいさんに病院まで車を出して貰えるかお願いに行く。 事前に陣痛が来たら送ってくれると言ってくれていたのだ。 この時大家さんはまだ寝ていたが、事情を話すと快く送っていただけることになった。 嫁はこれまた事前の講習で教わっていた通りにシャワーを浴びていた。 6時半頃には痛みが本格的に強くなっていた。

6:45 am

車で15分ほどのグルノーブルアルプス病院(CHU Grenoble Alpes)に移動する。 早朝なのでドライブは順調だったが、大家さんが病院の場所を勘違いしていて少し遠回りする。

7:00 am

病院に到着。 早朝なので裏側の緊急入り口から病院に入る。 この頃には歩くのもだいぶ辛い状態であった。 エレベータで2階に移動し、インターフォンを押して陣痛が来ていることを説明し中に入れてもらう。 (私たちの感覚では)のんびりと保険情報の登録などをし、中の診察室に移動した。

7:20 am – 8:20 am

診察室にはすぐ助産婦がやって来て、簡単な問診を行なったのち子宮口のサイズをチェックした。 この時に既に4cmまで開いており、初産でここまで家で待機できてるのは素晴らしい、と助産婦さんに褒められる。 4cmになっていたので、私たちはそのまま分娩室に移動することができた。 病院の規定では3cmまでの場合は、別室で待機だそう。 分娩室に入ると別の助産婦が待機していた。 こちらの助産婦は英語がとても流暢だったので私たちにはとてもありがたかった。 助産婦によると分娩室に入ったら無痛分娩を開始できるとのこと。 ただし麻酔科医を待たなければいけないということで、この待ち時間が嫁にとって最も辛い時間であった。 助産婦は分娩室は自分の部屋だと思って寛いでねと言って、しばらくしたら戻ると他の仕事に去っていった。 部屋は照明や空調が良くコントロールできるようになっており、またオーディオはスマホを繋いで好きな音楽を流せるようになっていた。

8:20 am

無痛分娩の開始。 幸いなことに麻酔科医も助産婦ほどではないが、聞きやすい英語を話した。 英語が通じるであろうということでグルノーブルアルプス病院を選んだが、私たちにとっては本当に良いチョイスであった。 麻酔科医と助産婦の説明を聞くと、最初に局部麻酔を使うとのこと。 その後で下半身麻酔のチューブを入れるという手順であった。 10分ほどの準備の後、実際に麻酔のプロセスに入る。 最初の局部麻酔はかなり痛かったようだが、その後の手順は特に何も問題はなかったようだ。 この後急激に陣痛の際の嫁の表情が改善し、私としてはやや楽に見ていられるようになった。 ちなみにこの時に麻酔追加用のボタンが渡され、痛みを感じた場合は自分で追加することができる。 しかし過剰投与を避ける為、一定時間内で追加できる回数は決まっている。

10:30 am

2度目の子宮口検診。 この時子宮口のサイズはほぼ7cm、助産婦の想定よりも早く進行していた。 この検診中に破水も起こり、後4・5時間くらいで出産までたどり着けるだろうという話になる。 ただし、この時子供の顔がおなか側を向いているとのことであった。 こちらの向きでも出産に問題があるわけではないが、背中向きの方がスムーズに出産ができるとのこと。 子供の向きを変えるための試みをしてみることになる。

10:30 am – 11:20 am 

ひざまづいてバースボールに前向きによりかかる姿勢をとる。 この姿勢は赤ちゃんが動きやすく、向きが変わる可能性が高いそうだ。 下半身麻酔の影響か足に力が入らず、若干鬱血気味になってしまったのが難点といえば難点だが、無事赤ちゃんの向きを変えることに成功した。

11:20 am – 0:30 pm 

赤ちゃんの向きが無事変わったので、今度は赤ちゃんが子宮口に向かっておりて来るのを助けるポジションに変えることになった。 具体的には体の左側を下にして横になり、少し高めの台座に右足を曲げて乗せ、左足は伸ばした形である。 この体勢は赤ちゃんのポジションを下げるのにとても効果的であった。 しかし、陣痛をより強く感じる体勢でもあったため、嫁は何度か追加で麻酔を使う必要があった。

12:30 pm

3度目の検診。 いよいよ子宮口が10cmまで開く。 ここから二時間以上待ってから、出産のための最後のプッシュ(いきみ)を始めるというのがこの病院のやり方であった。 なのでこの待ち時間は、プッシュの練習をしつつその時を待つということになる。

13:00 pm

まずは最もクラシカルな体勢、仰向けになり両足を抱えた状態でのプッシュを試すことになった。 また、息を止めてプッシュする呼吸法と、息を少しずつ吐き出しながらプッシュする呼吸方を試した。 嫁の場合は、息を吐き出しながらの方が相性が良かった。 なかなか上手にできていると助産婦に褒められる。 しかしここで問題が一つ。 この体勢は嫁にとって楽で陣痛が感じにくい体勢であった。 前回の陣痛の強かったポジションで麻酔を追加したため、この体勢では陣痛を全く感じることができなかったのだ。 そのことに不安を感じた嫁は、助産婦と話し合った上で別の体勢も試してみることにした。

13:50 pm

さてそのポジションであるが、ひざまづいて椅子の背もたれの方を向いてよりかかりお尻を両足首の間に配置するようなポジションであった。 この体勢の利点は赤ちゃんが降りて来るのに、重力が利用できること。 また、痛いというほどでもないが、陣痛の兆候をしっかりと感じることができたことにあった。 嫁はだいぶどのポジションを使うかを悩んでいた。 助産婦からの助言では、どの体勢でも出産はしっかりできるはず、そしてポジションを変えたかったら途中で変えても良いとのことであった。 短い話し合いの結果、後から試したポジションで最初のトライをしようという結論になったのだ。。

14:30 pm

いよいよ、プッシュの開始である。 陣痛のタイミングに合わせて、息を大きく吸い込み、思い切り細く吐き出しながら赤ちゃんを押し出す。 1回の陣痛につき3回のプッシュ。 最初の方はどの程度赤ちゃんが押し出されているかが見た目にはわかりにくく、見ている私としては若干不安にもなった。 しかし助産婦はしっかりと見ており、赤ちゃんが少しずつ押し出されていると嫁を励ましていた。 私は力になっているのかもわからないが、呼吸法を一緒になって行っていた。 数回のトライの末に赤ちゃんの頭がはっきりと視認できるようになってきたので、少しづつだが着実に進行しているのがわかった。 嫁はかなり消耗していたが、後もう少しであることがわかると少し気力を取り戻していた。

14:58 pm

30分ほどが経過して5・6回目の陣痛の波だっただろうか・・・ほぼ出かかっているという助産婦の言葉に、覗き込んでみると赤ちゃんの頭がしっかりと見える。 その陣痛の波は終わりかけていたが、最後のもうひと押しと嫁は全力でプッシュした。。。 するとズポっと赤ちゃんの頭が現れたのだ。 その後は陣痛中ではなかったかもしれないが、もうひと押しして赤ちゃんの体を押し出した。 赤ちゃんは水を少し吐き出して、少ししてからオギャーと泣き声をあげたのだ。 生命の誕生の瞬間はとても感動的であり少し泣けた。

******

今回私たちはフランスで出産をすることになったので、フランスでは多数派である無痛分娩を行うことになった。 私は今回無痛分娩に立ち会ったのだが、分娩室での多くの時間で嫁と普通に会話をしていた。 嫁が陣痛の間の体力の消耗を抑えることができたことも良かったし、精神的な余裕は麻酔なしの出産に比べてかなりあったと思う。 立会いをするのにも嫁が普段と変わらない状態であるため、心身面でのサポートもしやすかった。 日本では無痛分娩の割合はとても少ないようである。 出産前に多くの出産体験を読んだが、その多くが出産中の時間を辛い痛みに耐えつつ過ごしていた。 フランスでも麻酔なしの出産を選ぶカップルもそれなりにいるようであるし、それは各カップルの自由であろう。 しかし私たちは今回無痛分娩を選んで良かったと思っている。 少なくとも選択肢の中に無痛分娩があるということは、素晴らしいことであろう。

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フランスで妊娠・出産7 〜出産入院・持ち物リスト

フランス病院出産に持って行く持ち物リストの備忘録。

    1. パスポートなどのID証明
    2. 二人の戸籍(フランス語翻訳付き)
    3. 保険証(carte vitale)、保険会社の保険(mutuelle)
    4. 滞在許可証(carte de sejour)
    5. 嫁の血液型証明書(ラボラトリーで貰える)
    6. 超音波検査とその他検診の結果
    7. 赤ちゃんを社会保障に加入させるための申請書(保険会社から貰える)

続いて、赤ちゃん用品だがこれは日本でも大体同じであろう。

赤ちゃん用持ち物リスト

出:出産用 入:出産後入院用

    1. 下着(出:1着、入:6着)
    2. パジャマ(出:1着、入:6着)
    3. セーター(出:1着、入:4着)
    4. 帽子 (出:1つ、入:2つ)
    5. 赤ちゃん用寝袋 (入)
    6. おむつ一袋 (入)
    7. コットンのおしりふき (入)
    8. 赤ちゃん用体温計 (入)

その他、靴下・タオル・お風呂の温度計・退院用のお洋服などなど

    また出産後の母親用の用品

出産母親用持ち物リスト

    1. 水のスプレー (初)
    2. 産褥ナプキン (後)
    3. 使い捨て下着 (後)

その他、パジャマ・生理用品などなど

    上記はグルノーブルアルプス病院(CHU grenoble alpes)での必要リストである。 病院ごとに必要なリストはやや異なる。 最後に、嫁が自分で調べて追加で用意したもの。

追加持ち物リスト

  1. 授乳後用のクリーム (後)
  2. 授乳後用のコットン胸パッド (後)
  3. 陣痛判定用の痛み止め (後)
  4. ドライシャンプー (後)

実際に使ったもの、もっと用意が必要であったものについては後ほど追記する予定。

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