フランスで新生児のパスポート取得に必要な時間は?

 

私たちの第一子は無事フランスで生まれたのだが、私の仕事の都合すぐにフィンランドに旅立つ必要があった。私たちに残されたフランスでの時間は1ヶ月半。そこで表題の疑問ということになったわけ。
フランスから出産後にすぐ移動しなければならない人はそんなにいないだろうけど、ひょんなことで何かの役にたつこともあるかもしれないのでまとめておく。

パスポート取得のために出産前に準備したこと

こういった疑問に答えてくれるのは、日本大使館もしくは領事館。さっそくリヨン領事館にメールを出してみた。

「生後1ヶ月でフィンランドに行きたいんだけどどうしたら良いですか?」

領事館「出生届をフランス領事館で出すと戸籍が間に合わないですね。日本に郵送で直接出生届を出して、それから戸籍を郵送してパスポート申請してください。出生届と出生証明抄訳の用紙を添付しておきいますね。 パスポート申請後は1週間程度で受領できますよ」

とのこと。大使館経由で戸籍に登録しようとすると1ヶ月以上かかるそうだ。 一応今度は日本の地元の市役所に問い合わせ。

「なるべく早く戸籍に子供を登録したいんだけどどうしたら良い?」

市役所「出生届と出生証明書をできるだけ早く提出してもらう形になります。 出生証明書は病院からの出産証明でも良いですよ。フランス語の翻訳は本人(私)で良いです。戸籍登録には7−10日程度かかりますよー」

とのことであったが、以前書いたように病院からの出生証明書はフランスでの手続きに必要なのでこれは無理。しかし日程的には間に合いそうな日程である。とりあえずフランスの役所で処理をして出生証明(copie intégrale acte de naissance)を手に入れ、それから日本に国際郵便で郵送することにした。

出産後のパスポート申請書類の準備

実際には子供が予定日よりも少し早く産まれて来てくれたので、予定よりは日程的に少し余裕ができた。しかしよくよく考えてみると、その後日本ではゴールデンウィークに突入し、フランスも5月は休日が多い。念のため書類をスキャンして先送りし、手続きが先に開始できないか市役所に問い合わせてみた。すると、やはり原本でないと手続きはスタートできないとのこと。さすが日本の役所はしっかりしている。
さらにここで問題が一つ発生。市役所が言うには、リヨン領事館からもらった抄訳の用紙では、どこがどう翻訳されているのかわからないとのこと。急遽フランスの出生証明書のコピーに直接翻訳を書き込んだ書類を準備することになった。
さて原本の方はドイツに本拠地を置く国際郵便会社DHLを使って郵送することにした。いくつか日本に国際郵便を速達で送る選択肢はあったのだが、確実性と値段の兼ね合いで一番良かったのがDHLであった。オンラインで申し込むと、即日か次の日DHLの職員が郵便をピックアップしにきてくれる。 ルート的には中国経由で日本に郵送されたようであったが、週末を挟んでいたが予定どおり4日で実家までたどり着いた。

さてすぐさま私の父に書類を持って市役所に行ってもらい、無事出生書類が受理された。その際、パスポート取得のため急いでいるということを一応伝えてもらう。そのおかげもあってか、なんと二日後には戸籍に子供が追加されたという連絡がきたのだ。ここで再び国際郵便を使う手もあったのだが、数日後に私の両親がグルノーブルを訪ねる予定になっていたため、数日をあせるよりは確実に運んでもらうことにしたのであった。翌週彼らがグルノーブルに到着し、パスポート申請のための書類が全て整ったのであった。

リヨン領事館でのパスポートの申請

領事館でパスポート申請に必要な書類は以下の通りだ。

  • 一般旅券発給申請書
    • 国外ではホームページから申請書のダウンロードが可能とあったが、ダウンロードしたファイルが壊れていて使えなかった。領事館を訪ねた際に用紙をもらえるので記入すれば良い。入力内容は名前住所などよくある個人情報。私の息子はフランスの出生証明の際にアルファベット表記を中国式の発音にしていたため、裏面にパスポート記載をヘボン式から変える申し込みをする必要があった。この変更のために、赤ちゃんのフランスでの出生証明書を見せる必要があった。
  • 戸籍謄本
  • 出生証明書(copie intégrale acte de naissance)
  • 写真1枚
    • 赤ちゃんなので嫁に写真撮影してもらって、近くのスーパー(Simply market)に持って行って印刷した。USBでデータを持って行ったら、USBポートが壊れていた。その代わりiPhoneのプラグがついていたので、そこからデータを抜いて印刷することができた。一枚25ユーロセント。
  • 旅券申請同意書
    • 嫁が中国人なので嫁にサインをしてもらって一応準備した。領事館に行ってみたら必要とのことだったので準備しておいて良かった。

領事館で提出の際に確認すると、翌週の同曜日にはパスポートが準備できるとのことであった。少しフィンランド移動まで余裕があるため、子供の調子が良さそうな時に取りに行く予定だ。

フランスの領事館で赤ちゃんのパスポート取得に必要な時間

長々と書いて来たが、投稿タイトルの質問であるパスポート取得に必要な時間は以下のような感じだった。

出生証明書の取得(1−3日間)+出生証明書・出生届の郵送(〜4日間)+戸籍登録手続き(2−10日間)+戸籍の郵送(〜4日間)+パスポート申請から受領(7日間)=18ー28日

というわけで最速で18日、遅くとも1ヶ月の余裕があればパスポート取得は可能といったところ。 戸籍登録をなるべく早くしていただけるようお願いするのがポイントでしょうかねー。

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国際結婚の手続き 〜中国で結婚・日本に婚姻関係の移動

最近では国際結婚は珍しいものではないだろう。 私は、アメリカポスドク時代に同僚だった中国人の嫁と結婚した。 幸い中国はお隣、結婚手続きは比較的近場でできる。 とはいえ、やはり日本人同士が日本で結婚するよりは、少し手間がかかったのかな。

最初の婚姻手続き

私が嫁と結婚したのは、アメリカでのポスドクが終わりフランスへの移動を待つ間であった。 なので私は日本に、彼女は中国にいた。 必然結婚の書類手続きは日本か中国でする必要があった。 さて問題は日本でするか、中国でするかである。 結論から言うと、私たちは中国で結婚してから書類を日本に移すことにした。 理由は単純。 私はビザ無しで中国に入国できるが、嫁はビザが必要であったからだ。 結婚自体の手続きはほぼ一緒で、むしろ日本での方が楽かなとすら思っていたが。

独身証明書の取得

さて中国で国際結婚するのに必要なのは独身だと証明すること。 そのための独身証明書は日本でも取れるが、外務省の認定を受けた上で法廷翻訳を作る必要がある。 これには結構な手間と金額がかかる 東京に行く必要があるし、翻訳は高い。 それよりは中国に行って在中国日本領事館で、独身証明書を作ってもらった方が良い。 もちろん近場にないなら、話は別だが。 私は上海領事館に行って、証明書を取得した。
必要書類は、最近の戸籍謄本、パスポート、後70元。  ちなみに現地で確認されたりはしなかったが、独身証明の発行には嫁と一緒に行く必要があるらしい。 嫁の方でも戸籍と身分証明を準備するようにと指定されていたが、使ったかどうかは記憶にない。 連休明けの月曜に尋ねたので混雑を予想していたが、幸いそれほど待つことはなかった。 書類の提出に30分くらい。 受け取りに15分くらいだったかな。 もちろん会話は全て日本語で。 どうでも良いが、領事館フロアのすぐ外のトイレはウォッシュレット付きの良いトイレ。

中国の役所での結婚手続き

さて無事独身証明書を手に入れたら、実は後必要なのはパスポートと嫁の戸籍だけだったのだ。 あ、後二人で撮った写真か。
私たちは杭州役所の結婚登記所を訪れた。 役所には大量の人がいてどれだけ待つことかと思ったが、結婚手続きの場所に行くとそうでもなかった。 国際結婚の場所はさらに別だったようで、別室に案内された。 そこには1組だけ手続き中のカップルがいたがそれだけ。 英語で喋ってたのでわかったのだが、どうやら結婚ではなく離婚手続き中。 まあなごやかだったけど。
10分ほど待つと私たちの番になった。 やることは個人情報を確認しつつ一枚書類にサインをするだけだったかな。 ちなみに登記官とは嫁が中国語でやりとりしてたけど、英語もとても綺麗な発音だった。
登録が終わると、結婚証明になる赤い手帳を発行してくれる。 これを受け取って無事結婚手続きが完了ということになる。 ちなみに中国で結婚するのには中国の病院での身体検査が必須との情報もあったが、ルールが変わったようで今は必須ではなかった。

婚姻関係の日本への連絡手続き

日本での結婚の届け出をするには、受け取った赤い手帳と日本の婚姻届を市役所に持参する。 手帳は中国語なので日本語訳を作っておく必要があるが自分で作っても良い。
婚姻届は普通に入力していき、嫁には中国にいった際に記入してもらっておいた。 婚姻届の提出には嫁が同行する必要はないのだ。 独身証明の取得には嫁を連れて行く必要があったが、婚姻届には必要ないというのは少し面白い感じがしたものだ。
こうして無事日本でも結婚手続きが終わると、日本の戸籍に嫁の名前が入る。 中国で先に結婚したため、婚姻は中国方式という但し書きが入る。 ちなみに結婚したからといって嫁の日本入国が簡単になったりはしない、ビザが必要だ。 私が日本に就職したらまた別なのかな。

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フランスにて赤ちゃんが産まれて最初の2週間

子供が生まれてまもなく2週間と少しが経とうとしている。 生活はそれまでと一変してやはり子供中心の生活になっていることを感じる。 のちに振り返るためにも、この2週間のできごとを綴っておきたい。 特に父側で大変だったことを。

〜夜泣きベイビー〜

新生児は二時間くらいしか続けて寝てくれないので、どうしても夜起きてしまう。 そうすると泣いている赤ちゃんの、オムツを替えて授乳してというのを1時、3時、5時といった時間にする必要がある。
日本の世のお父さん、お母さんが普通にこれをこなしつつ仕事をこなしていけるのが不思議でしょうがないが、私にはやっぱり結構大変だ。 現在の職場はまあ理解があるので、ちょっと不規則な時間で就業したり、たまに家から働くのを許していただいている。 それでもやっぱりちょっと大変だ。

〜オムツ交換〜

うちではだいたい三時間に1回くらいオムツを替えているが、私が替えることが多い。 準備するものは、体温程度のお湯・コットンパッド・替えのオムツ・かぶれ用のクリーム。 うちの子は大きい方をしていることが多いので、毎回しっかりとふいてあげないといけない。 フランスでは5x10cmくらいのコットンパッドがオムツ交換用に売っている。 ちなみにオムツはフランスではパンパースが多い。
最初はオムツをさっと外すが、オムツはお尻の下においたまま。 お尻についている汚れを体温程度のお湯で濡らしたコットンパッドでふき取り、コットンパッドはオムツの中に捨てる。 オムツ替えの間に赤ちゃんが追加でいたすときがあるので、念のためおむつを下にとっておいた方が良い。 また赤ちゃんの足が暴れていることも多いので、カエルのような形にして両足を片手で抱えておく。 それなりにしっかりとかかえておかないと、汚れのついたオムツを蹴っ飛ばしたりするので危険なのだ。
十分に汚れを拭き取ったら、かぶれができていないか確認する。 赤くなっているようだったら、クリームやオイルを塗ってあげる。 古いオムツを小さく丸めて捨て、新しいオムツを広げて腰の後ろに片側の端をセットする。 反対側を股下を通しておなか側に移動し、長さが余っていたら二回折りたたんで長さを調節する。 腰側についているテープを伸ばして両脇から止めたら出来上がり。

〜赤ちゃんのお風呂〜

フランスではお風呂は3日に1回くらいは入れるようにというような指導を受ける。 日本に比べて少ないのは、湿度が低い気候の影響だろうか。 お風呂は37度程度に温めたベビーバスを準備する。
赤ちゃんは適当な台の上でタオルの上に寝かせておく。 まずはベビーソープを濡らしてあわ立てて、頭、体、手足と洗って行く。 首回りや耳の後ろなど結構汚れがたまっているのでしっかり洗ってあげる必要がある。 最後に体を半回転させて体の後ろを洗う。
十分に洗いきったら、左手を首の後ろから回して脇のしたを抱えるようにし、右手はお尻の方を持って持ち上げお湯に入れる。 洗っている間はギャン泣きしているが、お湯にある程度つけると泣き止んで大人しくなる。 そこで右手は体から離して、右手でお湯をかけつつ泡を流してあげる。 左手が高すぎてお湯が足りなくて赤ちゃんが寒かったり、下げすぎて耳に水が入ったりしないように気をつける必要がある。 十分石鹸を流してからお湯から引き上げて、新しいタオルの上にあげる。 しっかりと拭いて服を着せてあげたらおしまいだ。

〜退院後の助産婦訪問〜

フランスでは退院後には助産婦が家を訪ねてくれる。 私たちの場合は、出産前講習でお世話になった英語が堪能な助産婦が訪ねてくれている。 出産して病院から退院したすぐ次の日から来てくれるのでとても助かっている。 簡単な検診をしてもらえたり、色々わからないことを質問したりできるのだ。 病院に行くのは産後1ヶ月後なので、それまでは助産婦の助けの元新両親生活をスタートしていくことになる。 特に退院後すぐは右も左もわからない状態だったりするので、助産婦の助けはとてもありがたかった。 助産婦訪問は基本的に無料である。 しかし産後2週間後からは一度20ユーロ程度を助産婦に支払ってから、社会保険で払い戻しを受けるというシステムに変わる。

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研究補完ツールとしてのプログラミング

最近だとどの分野の研究をしていても、プログラミングは必須とまでは言わないが、プログラミングスキルがあると便利以上の利益がある。 就職の要件なんかにも結構入っていたりするし。 しかし、プログラミングを専門とするわけではないのなら、必要以上にプログラミングに時間を取られるのは本末転倒でもある。 ベストなのは高速言語で必要なプログラミングをしてくれる同僚がいる状況ことだろう。 私の学生の頃のボスの一人はC++をガリガリ書くタイプだったのだが、彼にスクリプトを書いてもらうと仕事が三倍速で進んだ。 しかし、現実問題そんなスキルを持った同僚が、自分の必要なタイミングでプログラムを書いてくれるなんてことはないのだ。
学生生活を終えポスドクを始める時に、周りが基本スキルとして求めてくることは、博士課程での専門知識やスキルだろう。 私の場合は高結晶性材料の結晶構造をやっていたので、まずそれが第一であった。 幸いにして、直属のボスとその分野で二報論文をさっと書くことができ、スタートはとても順調であったのだ。 さて、ポスドクでは少しずつ違うテーマにも手を出して行くことが多いだろう。 私の場合その一つがボスの同僚の一人であった中ボスと始めた、より低結晶性材料の解析だったのだ。 結論から言うと、これがひどいことになった。 今現在でも一報すらもパブリッシュされていない。 この理由は実際他にもいろいろあるのだが、それらの理由は振り返って改善できるものでもないしここでは置いておく。 今回の投稿ではプログラミングに一つの原因を求めてみたい。 さて私の博士論文はプログラミング抜きにしては語れないが、それは元ボスの恩恵が大きかった。 しかしそんなことは中ボスには関係ないので、私が低結晶の素材を扱い出したとき、私に求められた一つはデータ解析用のプログラミングだった。 しかし伊達に元ボスにしごかれていたわけじゃないと、C言語のプログラムを幾つか書いてみたのだ。 結論から言えば書けたわけだが、やはりそこは付け焼き刃。 まず書きたいプログラムの初稿を書くのに時間がかかる、そしてコンパイルにも時間がかかる、さらにバグ探しにも時間がかかる。 これだけ時間がかかっていては、プログラム自体がいくら早く計算をしてくれても意味がない。 さらにそうして書いたプログラムも、一度解析に使われたらおしまいで、再利用されたわけでもなかった。 ようするにコストパフォーマンスが悪すぎたのだ。 私のこの時の失敗は、元ボスのプログラムを使ったり書き換えたりに慣れすぎて、一からのプログラムでもそれなりの時間で書けると誤認したことだ。
さて、その中ボスとの仕事はダラダラと成果が上がらなかったわけだが、他のグループとの共同研究はそれなりに結果が出ている。 これもまた他の要因も大きいのだが、私個人として変えたこともある。 C言語からPythonに乗り換えたのだ。 Pythonは高級言語なので、プログラムの計算速度はとにかく遅い。 早くするテクニックはあるが、それはようするにどれだけC言語下で動かすことができるかと改変することである。 とはいえ、そこにプログラムの準備時間を加味するとなると話は別だ。 そのシンプルな構造と、数多くのプリセット関数がスピーディなプログラミングを可能にする。 また使っている人が多いので、トラブルシューティングがウェブでとても簡単に見つかる。  また私の印象としては、改変しての再利用もしやすい。 そういわけで今の所Pythonは、私の研究活動のサポートツールとしてとても役立ってくれている。

もちろんケースバイケースで考えなければならない。 莫大な計算量を走らせるなら、多少時間がかかってもC言語で書く価値がある。 しかし、Pythonをベース言語として習得することは、研究活動をしていく中でコストパフォーマンスがとても良いと思う。 最近少し忙しくなってきたので、実際にどの程度書いていけるかはわからないが、このブログの科学カテゴリーでは少しづづpythonのTIPSなどを書いていきたいと思っている。

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜パリの素敵な美術館

パリ旅行3投稿目。 オルセー美術館・オランジュリー美術館を満喫し、ルーブル美術館での驚きの体験の後でも、パリにはまだまだ見るところがたくさんあるのだ。

5日目 〜マルモッタンモネ美術館・ヴェルサイユ宮殿

この日は2月の第一日曜日。 公共施設が無料で利用できる日だ。 なのでとりあえず美術館や公共施設に向かおうという話になる。 最初に向かったのはマルモッタンモネ美術館。 この美術館はやや外れにあるので、私たちのホテルから辿り着くにはChâteletから地下鉄を乗り継いで40分程度。 わかりやすい看板が地下鉄の外にあまりなかったので、事前にある程度場所を調べておいた方が良いだろう。 ちなみに夜に友人宅を訪れる予定があったため、zone1-5の地下鉄、国鉄SNCFやRERが1日乗り放題のチケットを17ユーロで購入した。 さて辿り着いてみたところ、第一日曜日にもかかわらずほとんど人がいなかった。 不思議に思いつつも、受付を素通りしセキュリティーチェックのところまで行ってみる。 するといかついセキュリティーのお兄さんがチケットを見せろという。 なので今日は第一日曜日だから無料でしょ?と尋ねてみる。 するとマルモッタンモネは私立美術館だからただじゃない、受付でチケットを買ってきてとのことであった。。 なるほど、それなりに有名な美術館だからすっかり公立だと思い込んでいたが、私立美術館じゃあ無料にはならないのは当然だ。 大人しく受付に戻ってチケットを3人分購入した。 中に入ると、ヨーロッパタイプの家の部屋の中に素敵な絵画や芸術品が飾られている。 2階も似たような感じであり、素敵な雰囲気の美術館である。 しかしこの美術館の本番はミュージアムショップを通り抜けた先にある地下にある。 地下には大きな1フロアがあり、そのフロア全体がモネの絵で囲まれているのだ。 印象派・モネ好きにはたまらない空間だ。 小さな美術館であるがこのフロアを見るためだけに、マルモッタンモネ美術館を訪れる価値があると断言できる。 特に印象派の由来となったとされる「印象・日の出」は一見の価値がある。

私たちはマルモッタンモネ美術館を後にし、RERを使ってヴェルサイユ宮殿に向かった。 途中乗り換える必要があったのだが、これが結構わかりにくい。 ホームに電光掲示板があるので、行き先をしっかりと確認しよう。 反対側のホームに行く場合は地下通路があった。 行き先が違う電車が同じホームに入ってくるため、行き先を十分に確認してから乗る必要がある。 ヴェルサイユは終点なので、降りる方は簡単であったが。 ヴェルサイユ宮殿の入り口までは駅から歩いて10分くらい。 簡単なセキュリティーチェックを抜けるとヴェルサイユ宮殿前の広場に入れる・・・のだが、そこにはとてつもなく長い列ができていた。 この列はヴェルサイユ宮殿の宮殿内に入るための列である。 無料の日なので長い列はある程度覚悟していたのだが、ここまでの列は想定外。 ちょっと話し合った結果せっかくなので、列に並んで見ることにした。 結局入り口に入るまでにかかった時間は二時間程度であった。 トイレは入ってすぐのところにあるが、タイミング次第では結構待つことになるかもしれないので注意。 気になる方は無料の日は避けた方が良いかもしれない。 宮殿内では豪華絢爛であったであろう宮殿の雰囲気を楽しむことができる。 中庭は並ばないで入ることができるし、なかなか綺麗なので時間があるなら立ち寄る価値はある。ヴェルサイユ宮殿中庭

ヴェルサイユ宮殿の中庭

ヴェルサイユ宮殿を後にした私たちは、嫁の中学校の時の同級生宅へと向かった。 RERのC線を終点まで北上し、そこから友人の迎えで家まで移動した。 嫁の友人にフランス料理をふるまってもらいつつ、楽しい時間を過ごすことができたが、問題は帰り道であった。 10時過ぎくらいに駅から電車のH線に乗ってパリの中心地まで戻って来たのだが、電車自体は新しく綺麗であったものの酔っ払い客などが多く若干不安な感じ(まあ東京でもそんなものかもしれないが)。 また最後に乗り換えてChâteletまで戻る際には、RERのB線を一駅使わないといけなかった。 この電車はとても古くて薄暗く、客層もあまりよろしくない感じであった。 一駅だけだったし十分に警戒していたこともあって何も問題はなかったのだが、夜間に長距離乗りたい感じの電車では決してなかった。

昼食 スキップ

夕食 友人宅

6日目 〜ポンピドゥー・センター

パリの現代美術館。 最終日なのでホテルからチェックアウトだけして、ホテルに荷物を預けて出かけた。 そのため最終日はホテルからは歩いてすぐのところにあった現代美術館、ポンピドューセンター(Pompidou Centre)を訪ねることにした。 私は現代美術は全く知識も理解もないので流し見するだけであったが、建物は現代的な建築であり見ていて楽しい感じはあった。 現代美術館らしくミュージアムショップは品揃えが良くて、おしゃれなものが多く楽しめた。 その後ホテルで荷物をピックアップしたのちにリヨン駅に向かい、TGVでグルノーブルへと旅立つのであった。

ポンピドゥセンター

ポンピドゥセンター外観

レストラン情報

昼食 IT Trattoria ☆☆☆

ポンピドューの近くのパスタとピザのお店。 他はサラダとかコーヒーとか。 クリームソースが少し重たかったけど、パスタは美味しかった。 フランスのお店のコーヒーはほぼ美味しい。

夕食 リヨン駅で買ったサラダ、サンドイッチなどをTGV車内にて

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜何かが起こったルーブル美術館

前回の投稿に引き続きフランスはパリ旅行記。

3日目 〜ルーブル美術館

パリ旅行の三日目はルーブル美術館を訪れることにした。 ルーブル美術館は言わずと知れた世界最大級の美術館である。 私たちのパリの旅でも、もちろんメインの目的地の一つであった。 チケットはオンラインであらかじめ購入し持参。 二月の混雑していない時期であったため、真ん中の透明ピラミッドの入り口から入場することにした。 待ち時間はほとんどなし。 入場すると無料のロッカーがあるので、そこにカバンと上着をしまってルーブル美術館の探索を始めたのだった(このことを後ほど若干後悔することになる)。

ルーブルは巨大な美術館なので事前のプランニングが重要だ。 私の父がすでに何度かルーブルに来ていたため、私たちは彼のおすすめのプランをなぞることにした。 始めはサモトラケのニケを見る。 まさに教科書で見たままの姿だ、ちょっと感動。 続いて通路の展示品を眺めつつルネッサンスエリアへと向かう。 その辺に何気なくおかれているダビンチの絵などに驚きつつ、大広間へと移動したモナリザを見に行く。 モナリザはやはりあの有名なモナリザである。 見た人々が常に思っていたより小さかったという感想を述べるため、どれだけ小さいのかと思っていた私は、逆にそれなりに大きいなという印象を受けた。 さてそのまま大広間を抜けた私たちは、ナポレオンの戴冠など巨大絵画が並ぶコーナーへと向かった。 このコーナーは有名絵画が多く、その一つである民衆を導く自由の女神を眺めつつ、そういえば高校の社会科の授業で習ったななどと回想していたりした。。。

そんなときであった。 急に不思議な館内放送が流れ出したのだ。 それは平板なトーンであまり意味があるように感じられないような放送だった。 私のフランス語のリスニング能力は皆無に等しいので、フランス語だったのかもしれないがわからない。 館内放送の故障かなと気にしないことにして、鑑賞を続けることにした。 しかしそれからほんの少ししてからだった、ルーブルの職員が奥の方から現れて、逆の方向に行くように指示を出し始めたのだ。 大人しく従いつつも、これは有名人でも現れて一角を封鎖でもするのかなと、職員の反対側をのぞいて見ていたりした。 どうやらそういうわけでもないようなので、移動しつつ職員にどうなっているのか聞いて見る。 その時は職員もよくわからないと答えていた。 しばらく歩き続けていると同じ方向に歩く人たちが少しづつ増え出しており、これは何かしら起こっているのかもしれないと思いだす。 またこの頃には職員も「早く進んでください、これはあなたたちの安全のためです」というニュアンスのことを言い始めていた。 実は私たちは避難中であったのだ。 その後ルーブルの一角に避難した私たちは、安全が確保されるまで二時間ほど閉じ込められることになる。 ルーブルの職員はほとんど情報をくれないため、インターネットで原因を検索した。 するとどうやらルーブルの入り口の一つに、大型ナイフを持った男が現れて警備の兵士に撃たれたというのだ。 後ほど読んだニュースの情報では、計画的とは言い難いような事件ではあったのだが、フランス国内ではテロ事件として大々的に報道されていた。 避難室では窮屈に閉じ込められていたものの、安全は十分に確保されている雰囲気であり、それほど緊張を強いられることはなかった。 仮設の?トイレは一つしかなかったので一時間も超えたあたりからトイレに行列ができていたが。 二時間ほど待つと、外に出るように案内された。 この後どうなるんだと尋ねると、外に出れば大丈夫とだけ言われ詳細は教えてもらえない。 その後出口で武装警察によるボディーチェックを受けたのち、ルーブルの敷地外まで案内されたのだった。。。

事件後のルーブル

事件後のルーブル出口

敷地から出ると多くの報道陣や警察が周囲を囲んでおり、情報が欲しくともどこへ行ったら良いのかもわからない状況であった。 ようやく一人のルーブル職員を捕まえるもめぼしい情報はなし。 ダウンジャケットもカバンもルーブルのロッカールームだったため、寒いのを我慢して少しの間情報のアップデートを待っていたが何もなし。 諦めて近くの喫茶店に入り、昼食を食べることにした。 のんびりと時間をかけて昼食を食べ終えるが、有用な新しい情報は出て来てはいなかった。 私たちは次の日もパリにいるので、カバンはひとまず諦めてホテルに戻ることにしたのだった。 さすがにちょっと気疲れした私たちは、午後一杯ホテルで休むことにした。 その後少し気力を取り戻し、歩いて中華料理屋まで夕食を食べに行って、何かと疲れた1日を終えることができたのだった。 ちなみに夜7時過ぎにルーブルからきていたメールによると、この日のチケットは3日間有効になるそうだ。 カバンもルーブルの中だし、嫁も父もやる気だったので翌日もう一度ルーブルを訪れることにした。

レストラン情報

昼食 Café des Beaux Arts ☆☆☆

事件後慌てていた中でのんびりと、昼食とコーヒーを取ることができた。 店内がおしゃれ。 普通のカフェの食事といった感じで、バーガー、キッシュ、オムレツを注文。 料理はそれなりに美味しかったかな。

夕食 Mirama ☆☆☆☆

アジア系の食事には点が甘くなっているかもしれない。。 普通の中華料理だけどやっぱり美味しかった。 青島ビールと美味しい中華で事件疲れを多少なりとも取ることができた。 エビワンタン麺を食べた。

〜ルーブルの事件対応について〜

ルーブル職員の対応は優れていたのではないかと思う。 多数の美術品の中100人近い人をパニックをおこさせることなく誘導するというのは、重要なことでありとても難しいことではないだろうか。 ほぼ全ての時間不安を感じることなく、待っていることができたのは職員の努力も大きかったかと思う。 一方で、待ち時間はともかくお客さんをリリースする際の情報公開は、もう少しできても良かったのではないかと思う。 事件捜査との兼ね合いで情報が出しにくかったのかもしれない。 しかし、その場で待っていた方が良いのか、しばらくは何の情報も出ないから一度ルーブルから離れた方が良いのか、というような大雑把な情報だけでもあれば、その後の動きを決める手助けになったと思う。 あとは国際旅行など限られた時間の中で来ている人が多いルーブルで、チケットを三日しか延長しないのはちょっと短いかな。 3年延長とかにしておけば戻ってこれる人もいるかもしれないのにとは思った。

 

4日目 〜ルーブル美術館

ミロのビーナス

ミロのビーナス

というわけで再びやってきた、ルーブル美術館である。 この日は地下鉄の駅から直接入場口に向かうが、事件の翌日にもかかわらずとても混んでいた。 そこで私の父が知っていた、パッサージリシュリュー入り口に向かうとすぐさま入ることができた。 ロッカールームを確認すると、中の荷物は無事入ったままであった。 入り口では前日のチケットを見せるとその日の日付入りのスタンプが押されて中に入ることができた。 この日は半地下の中世ルーブルの遺跡を通り抜けて、ミロのビーナスへとまず向かう。 うん、やはりどこかで見たことのあるビーナスだ。 その後昨日途中になってしまった、自由の女神近辺の絵画を再び眺める。 事件後も何も変わらない自由の女神の姿がそこにはあった。 その後はのんびりと1日かけて残りの展示品をほぼ完走した。 ハンムラビ法典とレンブラントがフロア改修中で見れなかったのがちょっと残念。 途中カフェアンジェリーナでのお茶と昼食休憩を挟んだ。

パリ旅行の続きは次の投稿で

レストラン情報

喫茶 Café Richelieu / Angelina ☆☆☆

サービスは英語で丁寧にしてくれた。 ケーキやフルーツ・コーヒーは美味しかったが、やはり高い。 まあ場所代と考えれば悪くはない。

昼食 出口を出てすぐのフードコートのようなところ ☆☆☆

ファストフード的に食べるには十分。 値段も立地を考えればあまり高くない。 ワインを買ったら、コップは2ユーロ?(定かではない)で返却すればお金を返すよってシステムであった。

夕食 ギャラリーラファイエットのお惣菜のお持ち帰り ☆☆

父によると昔に比べてお惣菜コーナーの規模が縮小したのかな。 中華コーナーの店員の対応があまりよろしくなく、スキップして地中海料理のお店で何品か見繕う。 あとはピザ。 例のごとく嫁は気にしていなかったので、さほどひどくはなかったのだろう。 食事はまあお惣菜コーナーなので普通、コストパフォーマンスは良かったと思う。

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2. 海外旅行記・ヨーロッパ 〜エルミタージュ美術館へ

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜一度は訪れたい都パリ

残念なことに昨今どうしても治安の悪さなどが目立ってしまうパリである。 それでもパリはパリ。 いつかは必ず行きたい都市の一つだ。 治安が劇的に改善される可能性は残念ながらそう高くはないだろう。 そこでフランス在住であるこのチャンスに、メインの美術館だけでも回ってくることにしたのだ。 まずは旅行前にパリについて前情報の収集。

職場のボス「パリは危ないよ。 気をつけてね」

最近国外移住した友人「パリは窃盗・スリが多い。 最近はカツアゲも多い。 気をつけてね」

職場の友人「リヨンは安全!」

・・・不安である。。

1日目 〜モンマルトルの丘・凱旋門・シャンゼリゼ通り

何はともあれ移動はTGV。 グルノーブルからリヨン国際空港に1回停まるだけで、三時間半くらいでパリのリヨン駅(gare de lyon)に到着した。 とりあえず地下鉄のカルネ・10回券を窓口で買って地下鉄でホテルまで移動した。 ホテルはプライスラインでヒットしたホテル デ デュック ダンジュー(Hôtel des Ducs D’Anjou)に5連泊。 一泊90ユーロくらいだったと思う。 朝食はクロワッサン、パンオショコラなどをメインに、ベーコン・卵など少しの暖かい料理、ハム・チーズ、ヨーグルト・ナッツなどがついており結構良かったと思う。 ただし朝食が料金に入っていないプランならば、外に出てどこかで食べた方がコストパフォーマンスが良いかも。 実は私たちのプランは朝食なしだったことがチェックアウト時に判明したのだが、ホテル側のチェックイン時の手違いが原因であったので無料になったのだった。

パリ・モンマルトルの丘

パリ・モンマルトルの丘から

ホテルにて日本から来た私の父と合流し、ホテルの近くのパン屋さんでパンなどを買って昼食にした。 初日は特に予定は立てていなかったのだが、地下鉄に乗ってモンマルトルの丘を訪ねることにする。 とても眺めの良い丘であり、パリを一望することができる。 その後ムーランルージュ方面へとぶらぶらしつつ、映画アメリのカフェでビールを一杯。 地下鉄に乗ってエッフェル塔をチラ見、その後凱旋門に向かう。 そのままシャンゼリゼ通りを歩いて、ルイヴィトンに立ち寄ってみると春節のイベントをやっていた。 中国が今はメインの客層なのだろうか? エスカレーターで最上階まで上がってぐるぐる降りてくる構造のお店。 お店はおしゃれで見ていて楽しかった。 もちろん何も買わなかったが。 さらにシャンゼリゼ通りを歩いて、ベルギーレストランでディナー。 普通に美味しかった。

レストラン情報

昼食 Boulangerie Dheilly ☆☆☆

キッシュが美味しかった。 クロワッサン・パンオショコラなどは普通のフランスレベル、おいしい。

休憩 映画アメリのカフェ(Café des Deux Moulins) ☆

クレープは普通。 飲み物はビールだったのでまあ普通。 接客がびっくりするくらい悪かった。 おすすめはしない。 が、ウェイター次第だろうし、フランス語が堪能なら大丈夫かも。 嫁はあんまり気にしていなかったので私がセンシティブなだけかもしれないが。 と思ってグーグルのレビューを見たら、時折最悪の接客というコメントあり。 同じ人にあたったのかな。

夕食 Léon de Bruxelles – Champs Elysées ☆☆☆

ムール貝が有名。 ビールに良くあっておいしかったけど、ムール貝はムール貝。 サラダが良かったかな。 妊娠中の嫁用に頼んだ牛肉の煮込みももそこそこ美味しかった。

2日目 〜オルセー美術館・オランジュリー美術館

ホテルで朝食を食べた後バスでオルセー美術館に向かう。 オープン10分前の9時20分からチケットを買う方の列に並んだが、二月の平日だったので全く混んでいなかった。 オランジュリーとのコンボチケットを買って入場。 リュックタイプのカバンはクロークに預ける必要あり。 私たちは最上階の印象派のフロアをすぐさま訪れた。 このフロアには数多くの印象派の作品が展示されており、印象派好きにはたまらない。 もくろみ通りしばらくの間はあまり人が来ず、数多くの名画をのんびりと眺めることができたのだった。 その後他のフロアや特別展示などを鑑賞し、お昼はオルセー美術館内のカフェで軽く済ませた。 2時過ぎくらいにはオルセーのメインの展示物を見終えることができたので、後ろ髪を引かれつつもオランジュリー美術館に移動した。 オランジュリー美術館はオルセーから歩いてすぐ。 ここはなんといってもモネの睡蓮の絵を見るためにあると言っても良いだろう。 計8枚の横幅10m超の睡蓮の絵が、この絵画を展示するために作られた二つの展示室に飾られているのだ。 私たちを取り囲む異なった表情を見せる睡蓮の絵達に、時を忘れて見入ってしまっていた。 その後オランジェリーのその他の展示を一通り鑑賞して、この日の密度の濃い絵画鑑賞を終えることになった。 その後はライトアップされたノートルダム寺院の脇を通り抜けて、L’INITIALという日本人シェフのフランス料理屋でディナーを食べてホテルへと戻った。

レストラン情報

昼食 The Café Campana ☆☆☆

オルセーはレストランが結構有名だったので少し悩んだのだが、軽く食べたかったのでこちらのカフェをチョイスした。 印象派のフロアを出てすぐにあるので、印象派で疲れた足を癒すのにちょうど良いかもしれない。 サービスは迅速だったし結構良かった。 味はよく覚えてないので、まあ普通だったのだろう。

夕食 Restaurant L’INITIAL  ☆☆☆☆☆

滞在中で一番美味しかったレストラン。 日本人シェフの作るフレンチ。 従業員はみんな日本人。 日本語での落ち着いたサービスが受けられるのは、海外旅行に気を張っているなか心休まるし嬉しいものだ。 せっかくなのでプレート数の多い48ユーロのコースを頼んだ。 正直48ユーロで良いのか不安になるくらい、全ての料理が美味しかった。 なかでもフォアグラのソテーと果物の柿を合わせたプレートと、牛肉とトリフュのステーキは絶品。 日本人シェフのセンスを感じるメニューであった。 三時間ほどかけてゆっくりと料理を楽しむことができた。 もう一度パリに戻るときは是非とも再訪したいレストランである。

長くなって来たので、旅行の続きは次の投稿に回すことにする。

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海外旅行記・グランドサークル 〜立ち寄りスポットと豆情報

グランドサークルシリーズは、この投稿で一休み。 グランドサークルは是非とももう一度訪れたい場所なので、その時にはこのシリーズも再開したいと思う。 このひとまず最後の投稿では、ちょっと立ち寄った場所・ポイントや、良かったホテル・レストランなどを記していきたい。

〜ドライブだけでテンションが上がるグランドサークル〜

他に何もない荒野を突っ走るのはとても気持ちが良い。

絶景の中をゆっくりとドライブするのもまた良し。

白い雲と青い空の下、砂道を疾走するのも面白い。

グランドサークルには素晴らしいドライブコースが揃っている。

 

〜ほっとする普通の観光地・レイクパウエル〜

日の入り時のレイクパウエル

日の入り時のレイクパウエル

レイクパウエルはアリゾナ州ページからすぐの綺麗な湖、リゾート地になっている。 クルージングなどしてみたり、のんびり休憩を1日挟むのも悪くないかもしれない。 私たちは湖そばの眺めの良いレストランでディナーを食べただけだが。 眺めはとても良く、味はそこそこだったかな。

〜砂漠の日の入り・コーラルピンク砂丘州立公園〜

コーラルピンク砂丘州立公園

コーラルピンク砂丘州立公園の日の入り

予定にはなかったが、時間があったので立ち寄った州立公園。 ユタ州カナブ(kanab)にて日の入りまで一時間ほど。 日の入りが綺麗に見える近くの場所をウェブでサーチした結果見つかったのがコーラルピンク砂丘州立公園(coral pink sand dunes state park)であった。 カナブからは車で30分ほどの距離。 到着するころには、太陽はちょうど地平線の木々の中に隠れ出すところであった。 そんな時間なので職員さんはもう帰ってるかなと思いきや、しっかりと入場料を払う必要があった(夕方だったので3ドルくらい)。 せっかくなので日の入りの写真を撮った後も、残りの明かりで砂の上で二人しばらく遊んでいた。

コーラルピンク砂丘州立公園

コーラルピンク砂丘州立公園・日の入り後

ちなみに帰り道では暗闇の中で、大量の牛さんたちが道路を塞いでいた。 ここに限らずだが、夜間は動物注意である。

コーラルピンク砂丘の牛

コーラルピンク砂丘の牛

美味しかったレストラン情報

Thai sapa(ザイオン国立公園)

ドランクンヌードルの味付けがとても良かった。 グリーンカレーも美味しかった。

Szechuan restaurant(モアブ)

ナスの炒め物が美味しかったかな。

良かったホテル情報

Best western plus canyonlands inn(モアブ)

部屋はきれい。 朝食のブッフェもいろいろ選択肢があって良かった。

the view hotel(モニュメントバレー)

何よりもバルコニーからの眺め、日の出が最高。

Grand Circle Bed & Breakfast(カナブ)

B&B。 綺麗な部屋と大きなバス。 朝食がとても美味しかった。

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海外旅行記・グランドサークル 〜エンジェルズランディング

グランドサークルの旅七日目。 ザ・ウェーブの抽選を三たびはずしたこの日、私たちは前日のナローズでの川歩きに続きザイオン国立公園を再訪することになったのだ。 ザイオン国立公園にはエンジェルズランディングという素敵な名前のトレイルがある。 名前通りというべきなのか似合わずというべきか、なかなかに歩きごたえのあるトレイルであった。

舗装路を登るエンジェルズランディング前半

ザイオン国立公園 エンジェルズランディング

エンジェルズランディング・最初は整備された登り道

前日同様ユタ州カナブ(kanab)からビジターセンターまで移動した私たち。 エンジェルズランディングは天気が良ければ、鉄砲水などの心配はない。 そこでビジターセンターはスキップして、シャトルバスに直接乗り込む。 グロット(The grotto)という停留所で降りると、ハイキングトレイルの入口はすぐそこである。 最初は上写真のような割と整備された道をウォーミングアップとばかりに登って行く。 それなりに傾斜のある登りが続くので、水など必要なもの以外は荷物を最低限にしておいた方が楽に登れるだろう。 下写真のようなジグザグの登り道までたどり着いたら中間地点はもうすぐそこだ。

ザイオン国立公園 エンジェルズランディング

エンジェルズランディング・中間地点まで後少し

岩を登るエンジェルズランディング後半

私たちは休みをとりつつゆっくり目のペースで登ったので、中間地点にたどり着いた時には一時間半程の時が過ぎていた。 中間地点までは走って登って行く人もいるくらいなので、時間が押している人はずっと早く登ることが可能だろう。 さて、ここからがエンジェルズランディングの本番である。 下の写真のような岩場の尾根を踏破するのだ。 拡大していただくと、豆粒のような人々が尾根の上に見えるかと思う。

ザイオン エンジェルズランディングエンジェルズランディングの本番・山頂への尾根

ザイオン エンジェルズランディング

チェーンの補助付きの岩登り

岩場は狭く、時折ほぼ垂直に登っていかないといけないような場所もある。 また脇の方をひょいとのぞけば絶壁の崖だ。 しかし難しい場所には必ずチェーンが張ってあるので、下を見ないように少しずつ登って行けば問題ない。 私は高所は苦手な方なのだが、一時間ほどかけてエンジェルズランディングの山頂までたどり着くことができた。

ザイオン エンジェルズランディング 山頂

エンジェルズランディングの終点・山頂

エンジェルズランディングの山頂からの峡谷の眺めは、苦労して登って来たこともプラスして格別の絶景となる。 4−5時間をザイオン国立公園で取れる方は是非この景色を自分の目で見ていただきたい。

しばらく山頂で過ごしていると、小さな雨雲が近づいて来て小雨が降り出した。 幸いなことに小雨程度であれば足元が悪化して劇的に滑り易くなったりはしなかった。 しかし雨が強く降り出したら話は別だろう、天候には十分注意する必要がある。 幸い軽い通り雨であったため、私たちは問題なく下り切ることができた。 私たちは四時間半をかけてエンジェルズランディングを踏破したのだ。 その後ブライスキャニオン国立公園へと移動するのだが、運転中に足がつりかけて大変だったことを覚えている。

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海外旅行記・グランドサークル 〜ナローズのんびり川歩き

グランドサークルシリーズは、場所を移してユタ州ザイオン国立公園。 ザイオン国立公園は、グランドサークルの国立公園の中ではやや特殊な感じがある。
まず岩や大地などの無機物の美しさが目を引くことの多いグランドサークルの中で、比較的緑に包まれた国立公園である。 その景観はもちろん美しく、見ておくべきスポットは多い。
しかしそれより何より、ザイオン国立公園内の各所はエンターテインメント性に富んでいるのだ。 ザ・ウェイブの抽選を外したこともあり、ザイオン国立公園のハイキングトレイルを二つ試すことができた。 そのうちの一つがコロラド川の支流ヴァージン川(virgin river)の中をひたすら歩くハイキングトレイル・・・ナローズである。

ザイオン国立公園ナローズへのアクセス

ザイオン国立公園ナローズ

ヴァージン川を歩くザイオン国立公園・ナローズ

グランドサークルの旅6日目の朝。 ユタ州カナブ(kanab)のビジターセンターで無事ザ・ウェーブの抽選を外した私たちは、その足でザイオン国立公園へと向かった。
カナブからザイオン国立公園のゲートまでは車で40分程度。 道も非常にわかりやすくアクセスの良い国立公園だ。 年間パスを使ってゲートをくぐり抜ける。 のんびりとドライブしていると、道路沿いのいくつかの観光スポットを見ることができる。 トンネルをいくつかくぐりつつ山道を走ると、大きな駐車場があるビジターセンターにたどりつく。
ビジターセンターで今日のナローズの最新情報を簡単に確認した後、シャトルバスに乗り込む。 シャトルバスは5ー10分おきくらいだっただろう。 ナローズに行くには、終点のテンプルオブシナワバ(temple of shinawava)まで行けば良い。 途中鹿などの野生動物に遭遇すると運転手がスピードを落として、教えてくれたりする。
シナワバのシャトルバスの停留所には比較的綺麗なトイレがついていた。 ここからナローズの入口にたどり着くには、1kmと少し川沿いの舗装路を歩いて行く必要がある。 このリバーサイドウオークの入口に、ナローズでの鉄砲水の可能性を表示する掲示板があり、この日は確率が非常に低いという表示であった。

ナローズでの川歩きに準備するもの

ナローズ ザイオン国立公園

膝程度までの深さのあるナローズ

さてナローズは川沿いではなく川の中を歩くので、しっかりと準備を整えておく必要がある。 上半身は暑ければTシャツで良いが、川の中にいると意外と涼しく感じるかもしれないので、念のため上着は持っていた方が良いだろう。 下半身は私はハーフスパッツ型の競泳用水着を履いていたが、普通の薄手のショートパンツでも大丈夫。
靴は川歩き用の水に濡れても良く歩き易いウオーターシューズ的なものを準備した方が良いだろう。 また結構な距離を歩いてしまうものなので、十分に靴はならしておいた方が良い。 私は数度しか履いていない新しい靴で若干靴擦れした。
川の中を歩くわけだが、川の水は飲めないので、十分な飲料水も持って行く必要もある。 そこらへんに落ちている流木を使っても良いが、杖を使っている人は多かった。 それなりに流れの速いところを歩くこともあるので、装備が整っているにこしたことはない。

ナローズでの川歩き

ナローズの開始地点付近

ナローズのスタート付近

この日は天候に恵まれていた。 やや冷たい川の中を歩いていて、暑くも寒くも感じない程度の気温。
スタート地点は足が浸かる程度の深さで流れもさほど早くない感じ。 上流に向かって進むにつれて、膝から太もも程度までの深さの場所を歩く必要があったり、浅くとも流れが早く歩きにくい場所などもあった。
しかし川の中を濡れるのも気にせず歩くというのはなかなかにして楽しい。 童心に帰りつつ三時間ほど進んだところで、目標地点であった分岐点までたどり着くことができた。 それほど疲れていたわけでもなかったが、帰り道も同じ距離を歩かないといけないのでここで引き返すことにしたのだ。 ちなみにこの先にもう少し進むと、かなり水深が深い場所があるようだ。
帰り道は川の流れと同じ方向に歩くわけだが、だからといってそんなに楽できるというわけでもない。 下流側からスタートする場合は、十分に余力を持った段階で引き返す必要がある。 ちなみに上流側からスタートする場合は事前に許可を得る必要があり、キャンプを挟みつつ1日かけて踏破するそうだ。

無事スタート地点まで戻った私たちは、川の中を歩いたため普段とは違うタイプの疲れを感じていた。 ビジターセンターまでシャトルバスで戻り、入って来た方とは反対側の出口側のタイ料理レストランにて夕食をとった。 あまりよろしくないレビューも散見されたが、私たちが頼んだメニューは国立公園の側で食べてるとは思えないほどとても美味しかった(グリーンカレー、ドランクンヌードル、サモサだったかな・・・)。 メニューかシェフの当たり外れがあるのかもしれない。 その後ザイオン国立公園を通り抜けて、カナブまで戻るのであった。

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