フィンランドでの家探し

フィンランドに少なくとも1年移住することが決まり、そのためには色々と下準備が必要だ。 特にフィンランドに実際に移る前に決めておきたいのが住居である。 部屋が見つからずしばらくホテルを使うなんてことになると、高いアパートに入るよりも高くついてしまうからだ。

各国でのアパート探し事情

家の探し方は各国色々と特徴があって面白い。 アメリカで私が暮らしていたあたりの田舎では、大規模なアパートメントコンプレックスが多くあり、コンプレックスの一角に賃貸を管理しているオフィスがあった。 そこを直接訪ねて行けば部屋を見せてもらえる。 気に入ったならばその場で契約することができるという形であった。 一方嫁は一軒家の大家が部屋を貸しているところを探すのが好きで、それ用のウェブサイトを通じて部屋を探していた。 フランスに来る時は、誰かしら友達の友達あたりが部屋の貸し先を探していたので、そこにうまいこと滑り込むことができた。 フランスは普通の不動産屋もあるが、ルームシェア的に部屋を貸している人が多い印象。

フィンランドでのアパート探し

さて、フィンランドの家探しを始める際には、フィンランドでの不動産の知識も情報もなかった。 そこでまずは大学のHRに尋ねて見ることにした。 彼女の言うところによると、大学で宿舎的なのはあるが最大6ヶ月までしか入れないとのこと。 さらにこの宿舎的なのは一番安い部屋で一月1000€近く、設備は良いようだが決して安くはない。 他を探すなら大学のホームページが参考になるとのことであったので、とりあえず見てみることにした。

まずホームページで目についたのは、大学職員向けに斡旋しているアパートがあるらしい。 早速担当にメールを送って見る。 すると、学内イントラネットにそのアパートの情報は出ており、イントラネットにアクセスするパスワードを持っていないと利用できないそうだ。 つまり、学内で働いていてそろそろ別のところに引っ越したいと思う人用なのだろう。 あっさりと諦めて、民間のアパートを探す方向へシフトチェンジした。

民間のアパートを探す方法は日本と似ているのではないだろうか。 いくつか大手のウェブサイト系の不動産があり、現地で不動産会社を回ることもできる。 今回は現地に行っている余裕はないので、ウエブ系のものを使うことにした。 最初はホームページを英語にすることができる、Vuokraoviというウェブサイトを使っていたのだが、あまり良い物件が見当たらない。

そこで新しいボスに何か良いのがないか聞いて見ると、oikotieというウェブサイトが良いということだ。 ホームページは全てフィンランド語で書かれているのだが、そんなものはグーグル翻訳に突っ込めば問題ない。 そうするとoikotieでは業者を通していない物件なのか、割とリーズナブルな値段で条件の良いアパートがいくつか出てきたのだ。 いくつか目についた良いアパートに、興味があることを伝えるメールを英語で出して見た。

〜アパート1

家具付き950ユーロ程度。 職場から近くだいたい何でも近場にあり優良物件。 問い合わせのメールを出すも返信なし。

〜アパート2

家具なし850ユーロ。 水道代込み。 職場からはギリ自転車範囲。 メールのやり取りの末、とりあえず下見に行く約束を取り付けることができた。 しかし私たちはフランスにいるので下見に行くことができない。 そこで新しい職場のボスが代行をオファーしてくれた。 しかし下見の約束三日前に別の人が入居を決定してしまったとの連絡。。

〜アパート3

アパート2と条件は同じくらい。 しかし返信なし。

といった感じで苦戦続きであったのだ。 そんなときに、ボスから一通のEメール。 内容は、うちのポスドクがもうすぐフィンランドから出るから、その空いた後に入らないか?とのこと。 ちょっと探していた条件よりも遠く自転車での通勤は無理そう。 しかし、家具付き、電気・水道込みで850ユーロという条件は悪くないので、とりあえずもうすぐ出ることになっているポスドクにコンタクトをとり情報をもらう。 すると部屋・大家はとても良い感じで、部屋へのベビーカーでのアクセスも良い。 アパートの周りも良い感じにいろいろ揃っているよ・・とのことであった。 さらに彼女からの情報では、このアパートはすでにoikotieに広告が載っているという。 条件は結構良いので、埋まってしまうとまずいと、慌てて大家にコンタクトを取ることにした。

数回のメールのやり取りをした感じではとても良い感じの大家であった。 何よりも前ポスドクからの紹介であり信用がある。 私たちはここに引っ越すことに心を決め、契約手続きに入ることにしたのだった。 契約の締結に必要なのは、IDのコピーの交換と契約書にサインをすること。 意外と単純だが、問題は私たちが国外にいること。 私のボスに委任状を書いてサインをしてもらうことにし、またIDはスキャンをして大家に送った。

契約当日は電話くらいくるかなと一応待機はしていたのだが、何も問題なく契約書へのサインができたようである。 大家からは契約書締結ができ、鍵と契約書を私のボスに渡しておいたというメールが、私のボスからは同様の内容と大家と部屋がとても良い感じであったとのメールがきた。 というわけでこうして無事フィンランドでの住居を移住前に決めることができたのだった。 参考までに下記は私が使った委任状(authorization letter)である。

From: 私の名前
Address: 私の住所
To: 大家の名前
Address: 大家の住所
Date: 適当な日付
Subject: Authorization letter to sign the apartment contract
I, 私の名前, hereby authorize my supervisor in 職場, 私のボス, to sign the apartment contract, アパートの名前か住所, on my behalf. Feel free to contact me on 電話番号 for any further clarification.

Sincerely yours.
署名

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海外旅行記・中国 〜九寨溝の美しい森と湖と川と2

九寨溝の散策(則査窪溝)

1日目は日則溝の方を見たので、2日目は則査窪溝の奥から見て行くことにした。 一番奥に位置する長海は、諾日朗瀑布のバス停からは約20分程度。 普通の湖といえば湖だが、山あいに抜けて行く湖の形からはどこかで見たことがあるような印象を受けた。 おそらくテレビか何かで見ているのだろう。 しばらく写真撮影。

九寨溝 長海

九寨溝・山あいに抜けて行く秋の長海

長海から歩いてすぐのところに、五彩池がある。 九寨溝の中では一番カラフルな湖なのではないだろうか。
アクセスの良さもあって、ここはべらぼうに人がいる。 綺麗な写真を撮りたかったら、いかに人を避けつつ五彩池とバックグラウンドをとるかを計算する必要がある。 下の写真は人入りのもの。 初日の投稿に人抜きの写真を載せたが、やはり池が小さくなってしまうのだ。 この日はちょっと人混みに突っ込む気力はなく、この程度の写真と頭に映像を焼き付けて撤収した。

九寨溝 五彩池

九寨溝・五彩池の色彩と観光客の色彩

五彩池と諾日朗瀑布の間も何個か綺麗な湖などがあるのだが、あまりバスを降りて行く人はいないようだ。 なのでバスから眺めるために、バスでの席どりが重要になる。 行きは左側、帰りは右側サイドがより色々見れたと思う。 ちなみに入り口から諾日朗瀑布までのバスも行きが左側、帰りが右側の方が眺めが良いだろう。 即日溝は反対になる。
さて、何度も通りすがってきた諾日朗瀑布を、この時はじめて眺めることになった。 横にとても規模の大きな滝だが、他の場所の美しさと比べると印象としては普通な感じ。

九寨溝 諾日朗瀑布から長海へ

諾日朗瀑布から長海へ抜けるトレイルにて

さてここで時間的に少し余裕があったので、諾日朗瀑布のバス停に戻るよりも、鏡海までのハイキングトレイルを通り抜けることにした。 このトレイルはあまり人気がなく、他の混雑っぷりと比べてとても落ち着いていた。 眺めも良く密かにお気に入りのコースである。 諾日朗瀑布側からだと少し登りになるので、逆側から歩く方が楽だろうが。

九寨溝の散策(樹正溝)

九寨溝 葦の中の流れ

葦の中の綺麗な流れ

最後は樹正溝エリアをひたすらハイキング。 連日の疲れでちょっと足にきていたが、メインのところだけでもと頑張ることにした。 確か犀牛海だけスキップし、あとは老虎海から火花海まで歩ききったのだったと思う。
このハイキング中だけでも、他の場所では見ることができないような景色を次から次へと見ることができる。 最後の方にある葦ばたけの中を綺麗な川が流れている光景が私にはとても印象的に写った。 ここまで歩き切ったところで、この日の歩数は約2万5千歩。 とても良いハイキングであった。
九寨溝はこれにて切り上げ、観光はおしまい。 あとはホテルでのんびりと休むことにした。

ホテル インターコンチネンタル九寨パラダイス(九寨天堂洲際大飯店)

九寨溝 インターコンチネンタル

この旅唯一の高級ホテル。10月の初旬で2万円と少し。 部屋とトイレはとても綺麗で広かった。 確かお風呂がついていなかったのが少し残念。 このホテルだけでリゾートとして滞在できるように作られているので、スパや買い物・散策を楽しむことができる。
私たちは疲れていたのでしばらくのんびり。 夕食は数あるレストランの中から、鍋のお店を選択。 いろんな種類の地元のキノコが入った鍋は美味しかった。 途中チベット民族のショーなどあり。
次の日も飛行機の時間までのんびりとリゾートを満喫。

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タクシーでの九寨溝への移動

この日は疲れが溜まっており、朝方少し寝過ごしてしまう。 ホテルの食堂で朝食を食べいざホテルの送迎で九寨溝に向かおうとする。 しかしフロントに向かってみると、なんとその日の送迎は終わってしまったとのこと。 しょうがないので、タクシーを拾って九寨溝に向かうことにした。
さてここで問題が一つ。 中国の観光地のタクシーは信用ならない可能性があるのだ。 見た目がタクシーの車だろうが、普通の車だろうがあまり関係ないそう。 ぼったくりの可能性、または適当なところに送られてしまう可能性もある(さすがに誘拐されるようなことはないだろうが)。
とりあえず嫁がその辺に座ってた公安に聞いたところ、10元前後だったらぼったくりではないとのことだ。 するとそこに通りがかった普通車のおじさんが、九寨溝の入り口まで乗せてってくれるという。 嫁が話してみたところ15元と少し割高であったが、気にするほどではないので乗せてもらうことにした。 行き先には注意を払っておくことにする。

さて九寨溝の入り口まで乗せてってもらっている途中であった。 運転手が何やら言うには、九寨溝への入場チケットを安く手配できるという。 嫁はとりあえずそのチケット売りの人に会うだけ会ってみることにしたらしい。
私たちは九寨溝の入り口で、その斡旋をしているというお姉さんに会い話を聞いてみた。 システムとしては関係者枠の安い入場券があるらしく、関係者枠で中に入れるということ。 そして私たちの払った金額との差額分が、紹介のお姉さんに入るということらしい。
しばらく待たないといけなかったのが難であったが、実際に問題なく入場することができたのだ。 しかし紙のチケットがもらえなかったので、中に入ってからチケットの確認をされたら罰金を払わなくてはいけなかったのではないだろうか・・・まあ結果として問題がなかったのでよしとしよう。

九寨溝の深部へバスで移動

さて九寨溝の中は多くのバスが走っており、バスを利用して奥地に進んで行くことになる。 私たちはまず中心地点の諾日朗瀑布のあたりに向かった。 ちなみにその奥まで行きたい場合は、行き先が二つに分かれているので注意する必要がある。
諾日朗瀑布を少し過ぎたところのチベット族の経営する食堂でお湯をもらい、外で買ったインスタントヌードルを食べ栄養補給。

九寨溝の散策(日則溝)

この日は日則溝を探索することにし、諾日朗瀑布から煎竹海までバスで移動した。 煎竹海からはハイキングの始まりである。 ちなみにハイキングコース沿いにトイレは結構ある、結構清潔だ。 このあたりでは美しい湖を眺めつつのんびりとハイキングが出来るのだが、この日はあいにくと小雨が降ったり止んだり。 しかし滝などを眺めつつ熊猫海を通り過ぎ、五花海までたどり着く頃にはその雨も上がっていた。
こういうルートで来ると、五花海からは珍珠灘瀑布に行く人が多いかもしれない。 一方私たちは五花海の道路沿を登っていき、高台からの五花海の景色を楽しむことにした。 この日はこれでおしまいということにし、バスを使ってホテルまで戻った。 あとで確認したら、この日は2万歩近く歩いていた。

ホテル 某チベット族のホテル

某グッドスポットに存在する、知る人ぞ知る宿泊施設。 中国人が九寨溝に泊りがけで行く時はよく使われるそうな。 小さいベッドルームだが、シャワーとトイレは付いていた。 夕食と朝食は普通の中華料理だが(多少味付けがチベット風だったのかな?)、とても美味しかった。

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海外旅行記・中国 〜黄龍風景区の色彩美

九寨溝も黄龍も自然が作りあげた美しい色に彩られている。 豊かな自然の中で青色や緑色に美しく染めあげられた九寨溝に対し、複雑な石灰華の造形と超自然的な色彩を楽しむことができるのが黄龍だ。

松潘川主寺阿帝大酒店での朝食

黄龍の美しい池

黄龍の石灰華と水の美しいコンビネーション

前日の移動疲れもあり、ホテルではしっかり熟睡することができた。 またどうやら高地にも順応できているようであった。 しっかりとお腹が空いていたので、フロントで朝食を食べられるとこを聞いてみる。 するとどうやらお隣の食堂で食事ができるらしい。
行ってみるとここら辺一帯の労働者の朝食の場所のようだ。 多くの現地の労働者に混じって朝食をいただくことにした。 人気メニューは牛肉麺だったが、みんな頼んでいたので時間がかかりそう。 美味しそうではあったものの、すぐ出てくる包子を食べることにした。
しばらく食べていると、どうやら一つの牛肉麺が誰が注文したかわからず行き場を失っていた。 せっかくなので私たちのテーブルに回収して食べることにした。 結構しっかりと味付けがされた牛肉で美味しかった。 それもそのはずで、この一帯は牛肉の産地なのだ。 しっかりと食べて二人で300円ほど。

黄龍へのアクセスとロープウェイ

黄龍への道にいた牛

黄龍への車内から撮影した羊

昨日出会った男性と食堂で合流し、そのままホテル前からフロントで予約しておいたタクシーに乗り込んだ。 この日のホテル松潘川主寺阿帝大酒店から黄龍までは車で一時間ほど。
私たちがいた九寨黄龍空港側の町から黄龍に行くには、4000m超えの峠を超えていく必要がある。 最高地点あたりは私たちが訪れた10月初めでも、雪が降っていた。 多くの放し飼いにされた牛たちや羊をチラ見しつつ、黄龍までのドライブを楽しんだ。

黄龍はあまり標高差はないが山だ。 山頂までのアクセスは、歩いて登るかロープウェイを使うかである。 私たちはロープウェイを使うことにし、同行の男性は歩いて登ることにしたようだ。 するとタクシーの運転手が、代わりにチケットを買ってくるという。 値段は正規の料金と同じ4000円程度。 どうやら彼らはチケット購入の紹介をすることで、同料金でも多少の紹介料が受け取れるということらしい。 タクシーはホテル紹介だし運転手も信頼できる感じではあったので、私たちには特に問題はなかった。 しばらく待つと、入場とロープウェイのチケットを持って来てくれた。

色彩豊かな黄龍の風景

ロープウェイを登ると標高は3200m程度。 ここから黄龍のメインの一つである五彩池には、ほぼ平坦な道を歩いて行く。 この道はしっかりと整備された道であり、トイレや酸素バーが備え付けられている。 多少調子が悪いくらいなら酸素バーを利用しつつやりすごすことになる。 もちろん高山病がひどい場合はすぐさま下山だろうが。
しばらく歩くと黄龍の美しい景観が目に入るようになる。 最後に五彩池の周りで少し登りがあるが、その美しい景観を眺めながらなので疲れも忘れることができるだろう。
ベストのポイントに行くと写真を撮ってくれる業者がいる。 普段は鬱陶しい感じもするが、中国の観光地はシーズンだとめちゃくちゃ人が多いので、それらをかき分けて写真を撮りたかったら彼らを利用するのもありかな。 私たちは使わなかったけど。

黄龍の五彩池

黄龍の五彩池

ここでタクシーをシェアした男性と遭遇。 私たちはかなりゆっくり歩いてきたが、五彩池にたどり着くまでの時間は歩いて登ってもさほど変わらないようだ。
さて、ここまで来たあとは黄龍独特の美しい景色を眺めながら降っていくことになる。 この間の写真は下のギャラリーにまとめておいたので時間があったらご覧いただきたい。

黄龍から九寨溝への移動

黄龍を下りきった私たちは、もう一人の男性・タクシー運転手と合流し、一路九寨溝へと旅立つことになる。 どういう契約になっているのかはわからないが、途中のガソリンスタンドから別の運転手への交代があった。 それも含めて九寨溝のホテルへのドライブは三時間ほどかかったのだった。 ホテルに着いたあとは買い物などをしつつ、次の日からの九寨溝観光の準備をした。

ホテル 九寨童活精品酒店 (3000円)

このホテルは夕食が含まれていた。 味も結構美味しかったし、何か怪しげな薬膳酒が一杯無料で付いていた。 入り口のところで牛肉とジャガイモのBBQのようなこともやっており、食後にビールを片手に一つ二つつまんだらなかなか美味しかった。 部屋は広くて結構綺麗。 問題だったのはシャワー室の水はけが異常に悪かったくらいだろうか。 使ったあとしばらくバスルームの床が水浸しだった。 夕食後に九寨溝の観光案内を30分ほどホテルの人がしてくれる。 次の日の予定が決まってない人には役立つだろう。 おすすめできるホテル。

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海外旅行記・中国 〜黄龍・九寨溝エリアへの旅立ち

中国では「五岳归来不看山 黄山归来不看岳 九寨归来不看水」(五岳を見たら他の山には行きたくなくなるが、黄山を見たら五岳にも行きたくなくなる。 九寨溝を見たら他の川を見たくはならない)という詩があるそうだ。
九寨溝の絶景は写真で見ただけで惹きつけられるものであり、自分の目で一度は見てみたかった場所である。 九寨溝には四川九寨黄龍空港があるが、日本からの直行便はなく成都の経由便が多いようだ。
私たちは杭州近くにに滞在していたので、杭州国際空港から四川九寨黄龍空港へ直行便で向かうことにした。 四泊五日で、時期は10月の初め。 この年ではちょっと紅葉には早いかなという時期であった。

九寨溝の五彩池

九寨溝・五彩池

1日目 〜移動日

上海から杭州への移動

この日は結婚用の独身証明書を取得するため上海にいたので、新幹線を利用して上海虹橋站(駅)から杭州東站に移動した。
中国の新幹線はセキュリティチェックが付いており、駅次第でチケット売り場が中だったり外だったりする。 売り場が外の場合は、セキュリティにチケットを提示する必要があるので注意が必要だ。
チケット売り場では行き先と、希望があれば一等席か二等席かを伝える。 そうすると空席のある時間のリストを教えてくれるので、その中から選べば良い。 混んでいる時期で満車だらけだったら、立ち乗りを考慮する必要があるだろう。 チケット購入にはパスポートなどの身分証明が必要だ。 ちなみにこの時上海のチケット売りの担当官は英語が話せたが、必ずしもではないそうな。
チケットに書いてあるゲートに向かい、出発10分前くらいになるとゲートの中に入ることができる。 杭州東站までは一時間程度。

杭州東站から杭州国際空港へ

杭州東站から杭州国際空港へは直通のバスが出ている。 専用のバス乗り場があるので、チケットを買ってバスに乗り込めば良い。 バスもやはりセキュリティーチェックがある。 普通の時間であれば、バスの数はそこそこあるので少し待てば乗れるだろう。 空港までは30分くらいだったかな。

杭州国際空港についたら、四川航空のカウンターでチェックインをした。 この時小さな(?)トラブル。 嫁が私の航空券を予約してくれていたのだが、中国国内専用のアプリを使っていたため、私のアルファベット表記が自動で中国語発音になっていたのだ。 そのため発券された航空券にはパスポートと違うアルファベットが記載されていた。
四川航空の職員の対応は、セキュリティーを抜けられるかわからないけど、とりあえず行って来いというなかなかに豪胆なもの。 ちょっとドキドキしつつも、嫁がいるしなんとかなるか・・・とセキュリティーに向かう。 航空券とパスポートを渡すと、担当職員は暫くの間マジマジと航空券を眺めていた。 これは無理かと思ったが、どうやらまあいいやということになったようで、無事出発エリアに入ることができたのだ。
杭州国際空港はコンパクトな空港で、喫茶店で青島ビールを飲みつつ出発までの時間をつぶした。

四川九寨黄龍空港から初日のホテルへ

四川九寨黄龍空港までは三時間のフライト。 中国語飛び交う賑やかな機内であったことは覚えているが、機内食が美味しかったかなどは忘れてしまった。 フライトには少しの遅延はあったものの、順調に着陸することができた。
さて時期は10月の初めであったが、四川九寨黄龍空港はその標高なんと3500m。 とても寒い。 特に杭州が割と暖かかったので、その寒暖差が凄まじかった。 ある程度は予想していたので、準備していたダウンジャケットやマフラーなどをはおり寒さをしのぐ。
空港出口でしばらく待つと、ホテルからのピックアップサービスが迎えに来てくれた。 車の中で話していたところによると、人によると空港を出てすぐ高山病になる人がいるやらなんやら。 私たちは今大丈夫なんだからきっと大丈夫だよ、と言われたのを覚えている。 この旅行中の最高標高は4200m程度であったが、私たちは特に問題を感じなかった。

ホテル(松潘川主寺阿帝大酒店)は空港から15分ほどの黄龍と九寨溝の間にあり、比較的清潔な部屋とバスルームが付いていた。 値段は3000円ほど。 この気候の中暖房の一つが壊れているというアクシデントがあったが、ベッドに電気毛布が付いていたので問題はなかった。
基本的におすすめできるホテルであったが、検索したところ中国語の情報しか出てこなかった。 中国人の友達でもいれば、予約してもらえるかもしれない。 うちの嫁はctrip.comというウェブサイトのアプリ版を利用していた。

チェックイン後すぐフロントまで行って、次の日の黄龍までのタクシーの手配をすることにした。 ちょうどもう一人黄龍に行きたいという観光客がいたので、次の日はご一緒することにしたのであった。 交渉の末、ホテルから黄龍までと黄龍から九寨溝エリアまでの2回のドライブが6000円程度ということになり、3人で当分することになったのであった。
その後は次の日の黄龍観光に備えてさっさと寝ることにした。

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フランスで新生児のパスポート取得に必要な時間は?

 

私たちの第一子は無事フランスで生まれたのだが、私の仕事の都合すぐにフィンランドに旅立つ必要があった。私たちに残されたフランスでの時間は1ヶ月半。そこで表題の疑問ということになったわけ。
フランスから出産後にすぐ移動しなければならない人はそんなにいないだろうけど、ひょんなことで何かの役にたつこともあるかもしれないのでまとめておく。

パスポート取得のために出産前に準備したこと

こういった疑問に答えてくれるのは、日本大使館もしくは領事館。さっそくリヨン領事館にメールを出してみた。

「生後1ヶ月でフィンランドに行きたいんだけどどうしたら良いですか?」

領事館「出生届をフランス領事館で出すと戸籍が間に合わないですね。日本に郵送で直接出生届を出して、それから戸籍を郵送してパスポート申請してください。出生届と出生証明抄訳の用紙を添付しておきいますね。 パスポート申請後は1週間程度で受領できますよ」

とのこと。大使館経由で戸籍に登録しようとすると1ヶ月以上かかるそうだ。 一応今度は日本の地元の市役所に問い合わせ。

「なるべく早く戸籍に子供を登録したいんだけどどうしたら良い?」

市役所「出生届と出生証明書をできるだけ早く提出してもらう形になります。 出生証明書は病院からの出産証明でも良いですよ。フランス語の翻訳は本人(私)で良いです。戸籍登録には7−10日程度かかりますよー」

とのことであったが、以前書いたように病院からの出生証明書はフランスでの手続きに必要なのでこれは無理。しかし日程的には間に合いそうな日程である。とりあえずフランスの役所で処理をして出生証明(copie intégrale acte de naissance)を手に入れ、それから日本に国際郵便で郵送することにした。

出産後のパスポート申請書類の準備

実際には子供が予定日よりも少し早く産まれて来てくれたので、予定よりは日程的に少し余裕ができた。しかしよくよく考えてみると、その後日本ではゴールデンウィークに突入し、フランスも5月は休日が多い。念のため書類をスキャンして先送りし、手続きが先に開始できないか市役所に問い合わせてみた。すると、やはり原本でないと手続きはスタートできないとのこと。さすが日本の役所はしっかりしている。
さらにここで問題が一つ発生。市役所が言うには、リヨン領事館からもらった抄訳の用紙では、どこがどう翻訳されているのかわからないとのこと。急遽フランスの出生証明書のコピーに直接翻訳を書き込んだ書類を準備することになった。
さて原本の方はドイツに本拠地を置く国際郵便会社DHLを使って郵送することにした。いくつか日本に国際郵便を速達で送る選択肢はあったのだが、確実性と値段の兼ね合いで一番良かったのがDHLであった。オンラインで申し込むと、即日か次の日DHLの職員が郵便をピックアップしにきてくれる。 ルート的には中国経由で日本に郵送されたようであったが、週末を挟んでいたが予定どおり4日で実家までたどり着いた。

さてすぐさま私の父に書類を持って市役所に行ってもらい、無事出生書類が受理された。その際、パスポート取得のため急いでいるということを一応伝えてもらう。そのおかげもあってか、なんと二日後には戸籍に子供が追加されたという連絡がきたのだ。ここで再び国際郵便を使う手もあったのだが、数日後に私の両親がグルノーブルを訪ねる予定になっていたため、数日をあせるよりは確実に運んでもらうことにしたのであった。翌週彼らがグルノーブルに到着し、パスポート申請のための書類が全て整ったのであった。

リヨン領事館でのパスポートの申請

領事館でパスポート申請に必要な書類は以下の通りだ。

  • 一般旅券発給申請書
    • 国外ではホームページから申請書のダウンロードが可能とあったが、ダウンロードしたファイルが壊れていて使えなかった。領事館を訪ねた際に用紙をもらえるので記入すれば良い。入力内容は名前住所などよくある個人情報。私の息子はフランスの出生証明の際にアルファベット表記を中国式の発音にしていたため、裏面にパスポート記載をヘボン式から変える申し込みをする必要があった。この変更のために、赤ちゃんのフランスでの出生証明書を見せる必要があった。
  • 戸籍謄本
  • 出生証明書(copie intégrale acte de naissance)
  • 写真1枚
    • 赤ちゃんなので嫁に写真撮影してもらって、近くのスーパー(Simply market)に持って行って印刷した。USBでデータを持って行ったら、USBポートが壊れていた。その代わりiPhoneのプラグがついていたので、そこからデータを抜いて印刷することができた。一枚25ユーロセント。
  • 旅券申請同意書
    • 嫁が中国人なので嫁にサインをしてもらって一応準備した。領事館に行ってみたら必要とのことだったので準備しておいて良かった。

領事館で提出の際に確認すると、翌週の同曜日にはパスポートが準備できるとのことであった。少しフィンランド移動まで余裕があるため、子供の調子が良さそうな時に取りに行く予定だ。

フランスの領事館で赤ちゃんのパスポート取得に必要な時間

長々と書いて来たが、投稿タイトルの質問であるパスポート取得に必要な時間は以下のような感じだった。

出生証明書の取得(1−3日間)+出生証明書・出生届の郵送(〜4日間)+戸籍登録手続き(2−10日間)+戸籍の郵送(〜4日間)+パスポート申請から受領(7日間)=18ー28日

というわけで最速で18日、遅くとも1ヶ月の余裕があればパスポート取得は可能といったところ。 戸籍登録をなるべく早くしていただけるようお願いするのがポイントでしょうかねー。

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国際結婚の手続き 〜中国で結婚・日本に婚姻関係の移動

最近では国際結婚は珍しいものではないだろう。 私は、アメリカポスドク時代に同僚だった中国人の嫁と結婚した。 幸い中国はお隣、結婚手続きは比較的近場でできる。 とはいえ、やはり日本人同士が日本で結婚するよりは、少し手間がかかったのかな。

最初の婚姻手続き

私が嫁と結婚したのは、アメリカでのポスドクが終わりフランスへの移動を待つ間であった。 なので私は日本に、彼女は中国にいた。 必然結婚の書類手続きは日本か中国でする必要があった。 さて問題は日本でするか、中国でするかである。 結論から言うと、私たちは中国で結婚してから書類を日本に移すことにした。 理由は単純。 私はビザ無しで中国に入国できるが、嫁はビザが必要であったからだ。 結婚自体の手続きはほぼ一緒で、むしろ日本での方が楽かなとすら思っていたが。

独身証明書の取得

さて中国で国際結婚するのに必要なのは独身だと証明すること。 そのための独身証明書は日本でも取れるが、外務省の認定を受けた上で法廷翻訳を作る必要がある。 これには結構な手間と金額がかかる 東京に行く必要があるし、翻訳は高い。 それよりは中国に行って在中国日本領事館で、独身証明書を作ってもらった方が良い。 もちろん近場にないなら、話は別だが。 私は上海領事館に行って、証明書を取得した。
必要書類は、最近の戸籍謄本、パスポート、後70元。  ちなみに現地で確認されたりはしなかったが、独身証明の発行には嫁と一緒に行く必要があるらしい。 嫁の方でも戸籍と身分証明を準備するようにと指定されていたが、使ったかどうかは記憶にない。 連休明けの月曜に尋ねたので混雑を予想していたが、幸いそれほど待つことはなかった。 書類の提出に30分くらい。 受け取りに15分くらいだったかな。 もちろん会話は全て日本語で。 どうでも良いが、領事館フロアのすぐ外のトイレはウォッシュレット付きの良いトイレ。

中国の役所での結婚手続き

さて無事独身証明書を手に入れたら、実は後必要なのはパスポートと嫁の戸籍だけだったのだ。 あ、後二人で撮った写真か。
私たちは杭州役所の結婚登記所を訪れた。 役所には大量の人がいてどれだけ待つことかと思ったが、結婚手続きの場所に行くとそうでもなかった。 国際結婚の場所はさらに別だったようで、別室に案内された。 そこには1組だけ手続き中のカップルがいたがそれだけ。 英語で喋ってたのでわかったのだが、どうやら結婚ではなく離婚手続き中。 まあなごやかだったけど。
10分ほど待つと私たちの番になった。 やることは個人情報を確認しつつ一枚書類にサインをするだけだったかな。 ちなみに登記官とは嫁が中国語でやりとりしてたけど、英語もとても綺麗な発音だった。
登録が終わると、結婚証明になる赤い手帳を発行してくれる。 これを受け取って無事結婚手続きが完了ということになる。 ちなみに中国で結婚するのには中国の病院での身体検査が必須との情報もあったが、ルールが変わったようで今は必須ではなかった。

婚姻関係の日本への連絡手続き

日本での結婚の届け出をするには、受け取った赤い手帳と日本の婚姻届を市役所に持参する。 手帳は中国語なので日本語訳を作っておく必要があるが自分で作っても良い。
婚姻届は普通に入力していき、嫁には中国にいった際に記入してもらっておいた。 婚姻届の提出には嫁が同行する必要はないのだ。 独身証明の取得には嫁を連れて行く必要があったが、婚姻届には必要ないというのは少し面白い感じがしたものだ。
こうして無事日本でも結婚手続きが終わると、日本の戸籍に嫁の名前が入る。 中国で先に結婚したため、婚姻は中国方式という但し書きが入る。 ちなみに結婚したからといって嫁の日本入国が簡単になったりはしない、ビザが必要だ。 私が日本に就職したらまた別なのかな。

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フランスにて赤ちゃんが産まれて最初の2週間

子供が生まれてまもなく2週間と少しが経とうとしている。 生活はそれまでと一変してやはり子供中心の生活になっていることを感じる。 のちに振り返るためにも、この2週間のできごとを綴っておきたい。 特に父側で大変だったことを。

〜夜泣きベイビー〜

新生児は二時間くらいしか続けて寝てくれないので、どうしても夜起きてしまう。 そうすると泣いている赤ちゃんの、オムツを替えて授乳してというのを1時、3時、5時といった時間にする必要がある。
日本の世のお父さん、お母さんが普通にこれをこなしつつ仕事をこなしていけるのが不思議でしょうがないが、私にはやっぱり結構大変だ。 現在の職場はまあ理解があるので、ちょっと不規則な時間で就業したり、たまに家から働くのを許していただいている。 それでもやっぱりちょっと大変だ。

〜オムツ交換〜

うちではだいたい三時間に1回くらいオムツを替えているが、私が替えることが多い。 準備するものは、体温程度のお湯・コットンパッド・替えのオムツ・かぶれ用のクリーム。 うちの子は大きい方をしていることが多いので、毎回しっかりとふいてあげないといけない。 フランスでは5x10cmくらいのコットンパッドがオムツ交換用に売っている。 ちなみにオムツはフランスではパンパースが多い。
最初はオムツをさっと外すが、オムツはお尻の下においたまま。 お尻についている汚れを体温程度のお湯で濡らしたコットンパッドでふき取り、コットンパッドはオムツの中に捨てる。 オムツ替えの間に赤ちゃんが追加でいたすときがあるので、念のためおむつを下にとっておいた方が良い。 また赤ちゃんの足が暴れていることも多いので、カエルのような形にして両足を片手で抱えておく。 それなりにしっかりとかかえておかないと、汚れのついたオムツを蹴っ飛ばしたりするので危険なのだ。
十分に汚れを拭き取ったら、かぶれができていないか確認する。 赤くなっているようだったら、クリームやオイルを塗ってあげる。 古いオムツを小さく丸めて捨て、新しいオムツを広げて腰の後ろに片側の端をセットする。 反対側を股下を通しておなか側に移動し、長さが余っていたら二回折りたたんで長さを調節する。 腰側についているテープを伸ばして両脇から止めたら出来上がり。

〜赤ちゃんのお風呂〜

フランスではお風呂は3日に1回くらいは入れるようにというような指導を受ける。 日本に比べて少ないのは、湿度が低い気候の影響だろうか。 お風呂は37度程度に温めたベビーバスを準備する。
赤ちゃんは適当な台の上でタオルの上に寝かせておく。 まずはベビーソープを濡らしてあわ立てて、頭、体、手足と洗って行く。 首回りや耳の後ろなど結構汚れがたまっているのでしっかり洗ってあげる必要がある。 最後に体を半回転させて体の後ろを洗う。
十分に洗いきったら、左手を首の後ろから回して脇のしたを抱えるようにし、右手はお尻の方を持って持ち上げお湯に入れる。 洗っている間はギャン泣きしているが、お湯にある程度つけると泣き止んで大人しくなる。 そこで右手は体から離して、右手でお湯をかけつつ泡を流してあげる。 左手が高すぎてお湯が足りなくて赤ちゃんが寒かったり、下げすぎて耳に水が入ったりしないように気をつける必要がある。 十分石鹸を流してからお湯から引き上げて、新しいタオルの上にあげる。 しっかりと拭いて服を着せてあげたらおしまいだ。

〜退院後の助産婦訪問〜

フランスでは退院後には助産婦が家を訪ねてくれる。 私たちの場合は、出産前講習でお世話になった英語が堪能な助産婦が訪ねてくれている。 出産して病院から退院したすぐ次の日から来てくれるのでとても助かっている。 簡単な検診をしてもらえたり、色々わからないことを質問したりできるのだ。 病院に行くのは産後1ヶ月後なので、それまでは助産婦の助けの元新両親生活をスタートしていくことになる。 特に退院後すぐは右も左もわからない状態だったりするので、助産婦の助けはとてもありがたかった。 助産婦訪問は基本的に無料である。 しかし産後2週間後からは一度20ユーロ程度を助産婦に支払ってから、社会保険で払い戻しを受けるというシステムに変わる。

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研究補完ツールとしてのプログラミング

最近だとどの分野の研究をしていても、プログラミングは必須とまでは言わないが、プログラミングスキルがあると便利以上の利益がある。 就職の要件なんかにも結構入っていたりするし。 しかし、プログラミングを専門とするわけではないのなら、必要以上にプログラミングに時間を取られるのは本末転倒でもある。 ベストなのは高速言語で必要なプログラミングをしてくれる同僚がいる状況ことだろう。 私の学生の頃のボスの一人はC++をガリガリ書くタイプだったのだが、彼にスクリプトを書いてもらうと仕事が三倍速で進んだ。 しかし、現実問題そんなスキルを持った同僚が、自分の必要なタイミングでプログラムを書いてくれるなんてことはないのだ。
学生生活を終えポスドクを始める時に、周りが基本スキルとして求めてくることは、博士課程での専門知識やスキルだろう。 私の場合は高結晶性材料の結晶構造をやっていたので、まずそれが第一であった。 幸いにして、直属のボスとその分野で二報論文をさっと書くことができ、スタートはとても順調であったのだ。 さて、ポスドクでは少しずつ違うテーマにも手を出して行くことが多いだろう。 私の場合その一つがボスの同僚の一人であった中ボスと始めた、より低結晶性材料の解析だったのだ。 結論から言うと、これがひどいことになった。 今現在でも一報すらもパブリッシュされていない。 この理由は実際他にもいろいろあるのだが、それらの理由は振り返って改善できるものでもないしここでは置いておく。 今回の投稿ではプログラミングに一つの原因を求めてみたい。 さて私の博士論文はプログラミング抜きにしては語れないが、それは元ボスの恩恵が大きかった。 しかしそんなことは中ボスには関係ないので、私が低結晶の素材を扱い出したとき、私に求められた一つはデータ解析用のプログラミングだった。 しかし伊達に元ボスにしごかれていたわけじゃないと、C言語のプログラムを幾つか書いてみたのだ。 結論から言えば書けたわけだが、やはりそこは付け焼き刃。 まず書きたいプログラムの初稿を書くのに時間がかかる、そしてコンパイルにも時間がかかる、さらにバグ探しにも時間がかかる。 これだけ時間がかかっていては、プログラム自体がいくら早く計算をしてくれても意味がない。 さらにそうして書いたプログラムも、一度解析に使われたらおしまいで、再利用されたわけでもなかった。 ようするにコストパフォーマンスが悪すぎたのだ。 私のこの時の失敗は、元ボスのプログラムを使ったり書き換えたりに慣れすぎて、一からのプログラムでもそれなりの時間で書けると誤認したことだ。
さて、その中ボスとの仕事はダラダラと成果が上がらなかったわけだが、他のグループとの共同研究はそれなりに結果が出ている。 これもまた他の要因も大きいのだが、私個人として変えたこともある。 C言語からPythonに乗り換えたのだ。 Pythonは高級言語なので、プログラムの計算速度はとにかく遅い。 早くするテクニックはあるが、それはようするにどれだけC言語下で動かすことができるかと改変することである。 とはいえ、そこにプログラムの準備時間を加味するとなると話は別だ。 そのシンプルな構造と、数多くのプリセット関数がスピーディなプログラミングを可能にする。 また使っている人が多いので、トラブルシューティングがウェブでとても簡単に見つかる。  また私の印象としては、改変しての再利用もしやすい。 そういわけで今の所Pythonは、私の研究活動のサポートツールとしてとても役立ってくれている。

もちろんケースバイケースで考えなければならない。 莫大な計算量を走らせるなら、多少時間がかかってもC言語で書く価値がある。 しかし、Pythonをベース言語として習得することは、研究活動をしていく中でコストパフォーマンスがとても良いと思う。 最近少し忙しくなってきたので、実際にどの程度書いていけるかはわからないが、このブログの科学カテゴリーでは少しづづpythonのTIPSなどを書いていきたいと思っている。

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海外旅行記・ヨーロッパ 〜パリの素敵な美術館

パリ旅行3投稿目。 オルセー美術館・オランジュリー美術館を満喫し、ルーブル美術館での驚きの体験の後でも、パリにはまだまだ見るところがたくさんあるのだ。

5日目 〜マルモッタンモネ美術館・ヴェルサイユ宮殿

この日は2月の第一日曜日。 公共施設が無料で利用できる日だ。 なのでとりあえず美術館や公共施設に向かおうという話になる。 最初に向かったのはマルモッタンモネ美術館。 この美術館はやや外れにあるので、私たちのホテルから辿り着くにはChâteletから地下鉄を乗り継いで40分程度。 わかりやすい看板が地下鉄の外にあまりなかったので、事前にある程度場所を調べておいた方が良いだろう。 ちなみに夜に友人宅を訪れる予定があったため、zone1-5の地下鉄、国鉄SNCFやRERが1日乗り放題のチケットを17ユーロで購入した。 さて辿り着いてみたところ、第一日曜日にもかかわらずほとんど人がいなかった。 不思議に思いつつも、受付を素通りしセキュリティーチェックのところまで行ってみる。 するといかついセキュリティーのお兄さんがチケットを見せろという。 なので今日は第一日曜日だから無料でしょ?と尋ねてみる。 するとマルモッタンモネは私立美術館だからただじゃない、受付でチケットを買ってきてとのことであった。。 なるほど、それなりに有名な美術館だからすっかり公立だと思い込んでいたが、私立美術館じゃあ無料にはならないのは当然だ。 大人しく受付に戻ってチケットを3人分購入した。 中に入ると、ヨーロッパタイプの家の部屋の中に素敵な絵画や芸術品が飾られている。 2階も似たような感じであり、素敵な雰囲気の美術館である。 しかしこの美術館の本番はミュージアムショップを通り抜けた先にある地下にある。 地下には大きな1フロアがあり、そのフロア全体がモネの絵で囲まれているのだ。 印象派・モネ好きにはたまらない空間だ。 小さな美術館であるがこのフロアを見るためだけに、マルモッタンモネ美術館を訪れる価値があると断言できる。 特に印象派の由来となったとされる「印象・日の出」は一見の価値がある。

私たちはマルモッタンモネ美術館を後にし、RERを使ってヴェルサイユ宮殿に向かった。 途中乗り換える必要があったのだが、これが結構わかりにくい。 ホームに電光掲示板があるので、行き先をしっかりと確認しよう。 反対側のホームに行く場合は地下通路があった。 行き先が違う電車が同じホームに入ってくるため、行き先を十分に確認してから乗る必要がある。 ヴェルサイユは終点なので、降りる方は簡単であったが。 ヴェルサイユ宮殿の入り口までは駅から歩いて10分くらい。 簡単なセキュリティーチェックを抜けるとヴェルサイユ宮殿前の広場に入れる・・・のだが、そこにはとてつもなく長い列ができていた。 この列はヴェルサイユ宮殿の宮殿内に入るための列である。 無料の日なので長い列はある程度覚悟していたのだが、ここまでの列は想定外。 ちょっと話し合った結果せっかくなので、列に並んで見ることにした。 結局入り口に入るまでにかかった時間は二時間程度であった。 トイレは入ってすぐのところにあるが、タイミング次第では結構待つことになるかもしれないので注意。 気になる方は無料の日は避けた方が良いかもしれない。 宮殿内では豪華絢爛であったであろう宮殿の雰囲気を楽しむことができる。 中庭は並ばないで入ることができるし、なかなか綺麗なので時間があるなら立ち寄る価値はある。ヴェルサイユ宮殿中庭

ヴェルサイユ宮殿の中庭

ヴェルサイユ宮殿を後にした私たちは、嫁の中学校の時の同級生宅へと向かった。 RERのC線を終点まで北上し、そこから友人の迎えで家まで移動した。 嫁の友人にフランス料理をふるまってもらいつつ、楽しい時間を過ごすことができたが、問題は帰り道であった。 10時過ぎくらいに駅から電車のH線に乗ってパリの中心地まで戻って来たのだが、電車自体は新しく綺麗であったものの酔っ払い客などが多く若干不安な感じ(まあ東京でもそんなものかもしれないが)。 また最後に乗り換えてChâteletまで戻る際には、RERのB線を一駅使わないといけなかった。 この電車はとても古くて薄暗く、客層もあまりよろしくない感じであった。 一駅だけだったし十分に警戒していたこともあって何も問題はなかったのだが、夜間に長距離乗りたい感じの電車では決してなかった。

昼食 スキップ

夕食 友人宅

6日目 〜ポンピドゥー・センター

パリの現代美術館。 最終日なのでホテルからチェックアウトだけして、ホテルに荷物を預けて出かけた。 そのため最終日はホテルからは歩いてすぐのところにあった現代美術館、ポンピドューセンター(Pompidou Centre)を訪ねることにした。 私は現代美術は全く知識も理解もないので流し見するだけであったが、建物は現代的な建築であり見ていて楽しい感じはあった。 現代美術館らしくミュージアムショップは品揃えが良くて、おしゃれなものが多く楽しめた。 その後ホテルで荷物をピックアップしたのちにリヨン駅に向かい、TGVでグルノーブルへと旅立つのであった。

ポンピドゥセンター

ポンピドゥセンター外観

レストラン情報

昼食 IT Trattoria ☆☆☆

ポンピドューの近くのパスタとピザのお店。 他はサラダとかコーヒーとか。 クリームソースが少し重たかったけど、パスタは美味しかった。 フランスのお店のコーヒーはほぼ美味しい。

夕食 リヨン駅で買ったサラダ、サンドイッチなどをTGV車内にて

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